複式簿記断腸録〈其の壱〉三年連続不合格

我、簿記に苦戦す

平成5年の12月下旬のある日、職場の私宛に自宅の父から電話が入ったというのは、その日税理士試験の結果通知が郵送で届いたためである。


税理士試験なるものは、年に一度夏の暑い盛りに行われ、十一科目の中から任意の科目を適宜受験し、最終的に五科目通ればゴオルである。
22歳の私は、その年の試験において簿記論、財務諸表論、消費税法と云う三つの科目を受験していた。
消費税法は初めての受験だが、財務諸表論は二回目、簿記論に至っては三回目である。

簿記論は必ず通らねばならない必須科目のひとつであり、ほとんどの受験生が初手において受験し、まずもって税理士を志して最終的に合格する位の人間であれば、たいていの場合スムウズに通過するような科目である。

その簿記論に、私は苦戦していた。




そも簿記なるものは、税理士や公認会計士を生業にせんと志すものにとって、避けて通れぬ必須の知識と技術であり、まずもって初歩の初歩、基礎の基礎、資格取得にあたっての登竜門であるにも関わらず、私はこれを苦手としていた。

税理士試験の合格体験記なぞ読むと、多くの合格者がものするには、何かのきっかけで簿記を知り、軽い気持ちで勉強を始めた処、その面白さにハマって流れのままに税理士を志す、というストオリイである。

私の場合は全く異なる。
大学に入って勇んで簿記を始めたは良いが、すぐとこれは自分の脳に無理を強い、向後興味を持てそうにも無いと直感的に知れたのだが、引き返すこともままならず、己にとっては茨のその道を、苦痛と嫌悪、懊悩と憂鬱を背負って進む仕儀へと陥った。

簿記との長年の格闘は、それまで我が脳中で好き放題に自生せり神経回路を無理矢理に引きちぎり、これを新たに配線し直さんとする如き、荒療治の類いのものであった。

そんな苦手意識を引き摺りながら、日商検定の3級2級はパスしたものの、税理士試験の簿記論で二度の憂き目に涙を呑み、三度目の正直と意を決した受験結果が、今まさに電話口の向こうの父から告げられようとしていた。

我、動揺す

一部の科目に受かった者へ届く通知書には、横並びのマス目に全十一の科目名が充てがわれ、合格した科目にはカタカナで「ゴウカク」の印字があり、合格していなければ空白のままである(平成五年当時の様式)。



簿記論の合格を、私は確信していた。
本番でそつなく解答したとの手応えは確とある。
消費税法についても同様、合格しているはずである。
三科目中、最も手こずったのが財務諸表論で、これはおそらく不合格であろうと、受験後の九月から忘れ止め程度の復習は開始していたのである。

とにかく、簿記の勉強だけはもうこれ以上やりたくない。金輪際御免被むりたい。
何にを置いても簿記論合格というのが悲願である。


職場の昼休み、その命運が決する電話を受けた。
然して、電話の向こうの父は嬉しそうに云う。


「財務諸表論、ゴウカク、消費税法、ゴウカク」

「・・・・・・」

否、待ってくれ。
「簿記論ゴウカク」との発声を、未だ私の耳朶が受信しておらぬ。
通知書のマス目は、左から簿記論、財務諸表論・・・・・・と並んでいるはずである。
順番としては最左端の「簿記論、ゴウカク」が第一番目に読み上げられねばならぬのだが、私の聞き間違いか、父の確認漏れであろうか。

これはまさか恐れていた事態が発生したのか。
自分の顔から血の気が引くのがわかる。目の前の景色が少し白っぽく霞んで見えてくる。
しかし込み上げてくる動揺をまずは落ち着かせ、問うてみる。
「簿記論は?」


――父がどのような返答をしたのか、最早記憶は無い。

いずれにしろその年、簿記論の試験にまた失敗した。

その日帰宅し、簿記論の欄が空白の通知書を、私は確認した。



我、再起を期す

二科目合格した喜びは、三回目の簿記論不合格の失望とほぼ相殺される格好となった。

悲願は成就されなかった。

これから次の試験までの七カ月間、また茨のレールが延長されたのである。





いったいに、そうまでして何故苦痛の簿記を続けねばならなかったのか。
簿記の何が苦痛なのか。
それまでどういう変遷をたどり、この先どうなったのか。

それらを書き記しておこうと思う。

〈つづく〉




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・・・・・・惚れ惚れするフォルムで、この靴を眺めながら一晩酒を呑めそうである。

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