複式簿記断腸録〈其の弐〉経理研究所へ強制入所

経理研究所とは何か

「受からんとこばっか言うてくんな」
と担任の教諭は受験生たる高校三年生の私に言い放った。

大学受験の願書には内申書を添付しなければならない。
そのためには受験したい大学を担任の教諭に告げ、内申書をもらいに行かねばならなかった。

根が恨み節にできてる私は、苦々しい顔で内申書が入った封筒を渡すその教諭に、腹の中で呪詛の言葉を吐いたものだ。

然して受験が終わり、上々の戦果を上げて教室に凱旋した私を、教諭は驚きを持って握手を求めてきた。
ここに溜飲は下がった。


平成元年の春。
合格した大学から入学手続書類が郵送されてくる。
C大学の入学案内の中に封入されていたのは「経理研究所」なるもののパンフレット。
一枚物の漫画があった。
新入生が入学と同時に経理研究所に入り、ついには公認会計士試験に合格するストーリーである。
父はこれを見て、お前はここに入らねばならない、という旨の宣告を私に発した。

経理研究所とは、大学の正規の授業とは別に、会計系の資格取得を目指す学生のために専門的な講義を行う機関で、学内の教室を使い、正規の講義が終了した夕方から授業が行われていた。

当時は”ダブルスクール”の萌芽の時代であったが、経理研の講師は外部のO簿記学校から招かれていた。
学費は今でもはっきり憶えているが、17万円であった。

私は大学入学と同時にそこに入ることになった。

俺は数学が嫌いなのだ!なのに

私はそもそも数学が苦手で私立文系を選び、受験科目も英語、国語、社会(日本史)を選択していた。
本当に行きたかったのは史学科、それも心情的には関西の大学を希望していた。

にもかかわらず、数字とは切っても切れぬ会計学科、それも地域的にはなじみの薄い東京の大学へ行くこととなったのは、一言では言い表せぬ事情があったのだが、あえて言葉を切り捨てて要約するなら、一つは父との葛藤、もう一つは己の事なかれ主義が因と言える。

ついでに言うと、父は税理士でも公認会計士でもなく、家電小売店を営んでいた。無論、当時は大規模店など無く、個人経営のナショナルショップ(現パナソニックのお店)である。

種々の事情から、東京の大学でなければ仕送りなし、税理士か公認会計士の取得を想定して学部は商学部、というのが父からの下達であった。

最終的にこの父の言に屈する形での大学進学と相成った。

春なのに気持ちは重く

経理研究所への強制入所執行が決まり、私の浮き足だった心は俄に勢いを失った。

せっかく苦しい大学受験を終えて、当時ギスギスしていた重苦しい雰囲気の家庭を出て、いざ都会での新生活と勇んでいた処、またぞろ苦しい勉強がすぐにも始まるのだ、と云う暗澹たる気持ちが私を覆い尽くした。

かくして多感なラスコーリニコフはシベリアに送られた。



(続く)



跋語

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