複式簿記断腸録〈其の廿玖ー29ー〉なぜそれを先に教えてくれぬのか

前回までのあらすじ

大学に入って簿記を始めたが、馴染めなかった。
他にやりたいこともなく、流されるまま生きていた。
その流れのまま税理士試験を受けた。
一年目、全く歯が立たなかった。
大学四年になり、二度目の受験が近づいていた。

ついに疑問が解ける日が来た

なぜ、
なぜそれを先に教えてくれないのか。

それを先に知っていれば、夜な夜な内山力著『現代簿記原理』など読み込まなくても良かったのに。無駄に眠れぬ夜を過ごさずとも良かったのに。
否、当時のC大学学長の著書で、授業で教科書に指定された、ハードカバーで函入りの、その小難しい専門書など読んだところで、結局私の疑問は解決しなかったのだが。


私は焦っていた。
日商簿記3級のテキストがさっぱり分からない。
脳みそは熱くなり、気持ちは焦り、進むべき道を間違えた、と途方に暮れた。

大学入学直後からそんな苦悶をずっと抱えたまま、とうとう大学四年になった。

しかし遂に、その前年から本格的に勉強を始めた、税理士試験の必須科目である「財務諸表論」が、その懊悩を溶かしてくれることとなった。


”右と左の理由が分からない”
そんな素朴で根源的な疑問が、私をして簿記に深く立ち入らしめることを遮り続けていた。

複式簿記断腸録〈其の肆ー4ー〉右と左の理由がわからない

それが、財務諸表論のテキストに記されていた、たった二、三行の説明ですっかり氷解してしまったのである。


初学者に優しくない、とくに俺に優しくない、それが簿記

イメージの伴わない知識など薄っぺらい。
そうは思わないだろうか。

「資産」と「費用」は簿記上なぜ同じようなルールが適用されるのか。
資産はあれば嬉しいイメージである一方、費用は嬉しくないイメージではないか。
私はイメージで覚えたいのだ。
イメージを覆すのなら、覆すだけの理由を教えてほしい。


また、資産は左に、負債と資本は右に、というルールの意味が全く分からない。
初学者は、ただただこれを覚えてこの通りに処理せよと導かれる。
そんな無味乾燥な勉強は嫌なのだ。
もっと初学者に興味を持たせる工夫が、なぜ成されていないのか。
私は憤りを感じていた。


これらの疑問に、簿記のテキストも、大学の先輩も答えてくれなかった。
否、むしろ私が、このような疑問をうまく言語化して質問することができなかったのである。


待ち望んだ解答は、財務諸表論のテキストに、素っ気なく載っていた。


すなわちこうだ。

まず最初の、資産と費用についてだが、
「費用は収益を獲得するための犠牲となる」とある。

なるほど、費用は嬉しくないものというわけではなく、犠牲として必要なものである、と。

そして、
「資産は費用化を通じて回収される」。

出た。
これぞ、渇望していた説明だ。
まさにこの一文に蒙は啓かれた。


つまり、資産はいずれ費用となり、収益を獲得することで回収されるのだ。
だから資産と費用はどちらも同じように、左側に記載するのだ。
脳中の霧が晴れ、視界が拡がりかけてきた。
なぜこれを先に教えてくれないのか!



次に、資産は左に、負債と資本は右に・・・・・・つまりこれは貸借対照表のことを云っているのだが、
貸借対照表の、

左側は資金の運用状態
右側は資金の調達源泉

を意味し、左右併せて一時点の財政状態を表示しているのだ、と。

ああ、なぜ、なぜそれを先に教えてくれないのだ!



初学の頃から抱えてきて、私に眠れぬ夜と憂鬱な気分をもたらし続けた、憎き簿記の根源的な疑問が、今ここに霧散しようとしていた。
私は喜びのあまり走り出そうとしていた。
走り出して誰彼構わず、この、たった今己の脳に刻まれた、己にとっては新しい原理、簿記を統べる根本的原理を、触れ回りたくてたまらなくなった。
「聞いてくれ!借方は資金の運用状態なんだぞ!」と。


簿記など興味が無い読者諸賢にとって、上記の説明こそ無味乾燥この上ないものと感じられるやも知れぬ。
しかし私にとっては無味乾燥な簿記に血が通った瞬間だったのである。


追い込みが迫る

さりとて、そんなことが分かった程度で簿記が好きで得意になるというものでもなかった。
その後の勉強でも、相変わらず私は簿記に苦しみ、苦しみ、苦しみ続け、嫌悪感は募るばかりであった。

問題を解く度、簿記の脅威に圧倒され、克服する兆しは到底現れそうになかった。

特に厄介な論点として「特殊商品売買」というものがあったのだが、これがさっぱり分からない。
TACのテキスト、問題集や模試の解答解説をいくら読んでも分からないのである。
分からないまま闇雲に解答スピードを上げようとしたため、どれだけ問題を解いても実力は全く上がらなかった。


私は何か問題を抱えた時、本屋に籠もって解決の糸口を探すという手法を採択してきた。
その時も大学生協の本屋で突破口となる手がかりを探索した。

たまにマンガも挟みながらの、長時間の立ち読みという血のにじむような試練の末に、遂に一冊の本を探り当てた。
それが、大栄税理士学院の問題集だった。
「特殊商品売買」の解答解説を読むと、それまで躓いていたのがウソのようにスッキリと理解が進んだ。


その時点で六月中旬だった。
八月四日の本試験まで、あと一ヵ月半しかなかった。







(続く)





跋語

◆◆最近読み終えた本(ブクログに記録中)◆◆

『家は南向きじゃなくていい』/内山里江/講談社/令和8年6月20日(土)読了

『本には読む順番がある』/齋藤孝/クロスメディア・パブリッシング/令和8年6月26日(金)読了

『日本文学における古典と近代』/島内裕子/放送大学教育振興会/令和8年6月27日(土)読了

『ワイド版マンガ日本の古典17 徒然草』/バロン吉元/中央公論新社/令和8年6月28日(日)読了

『アウト老のすすめ』/みうらじゅん/文藝春秋/令和8年7月4日(土)読了

『超訳 ニーチェの言葉 エッセンシャル版』/ディスカバー・トゥエンティワン/令和8年7月6日(月)読了

『徒然草』/兼好 島内裕子/ちくま学芸文庫/令和8年7月14日(火)読了

『仏教聖典』/仏教伝道協会/令和8年7月15日(水)読了

『生誕の災厄』/E.M.シオラン/紀伊國屋書店/令和8年7月23日(木)読了

『小説を書くということ』/辻邦生/中央公論新社/令和8年7月25日(土)読了

『見仏記 三十三年後の約束』/いとうせいこう みうらじゅん/角川書店/令和8年8月7日(金)読了




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