
前回までのあらすじ
大学に入って簿記を始めた。
無味乾燥な数字の羅列にアレルギーを発症した。
三年生になって初めて税理士試験を受けたが打ちのめされた。
悪戦苦闘するうち、会計学の光明が少し垣間見えた。
聞こえよがしの舌打ち
私は確かにそう聞いていた。
同じクラスの、公認会計士を目指しているI野氏から聞いていた。
「学部図書館」は21:30まで開いていると。
その時間までは自習に使っても良いのだと。
C大学のT摩キャンパス内には、勿論図書館がある。
山を切り開いた広大な敷地内には、図書館だけが独立して大きな建物に収まっていた。
その、全学生共通の図書館の他に、各学部棟に「学部図書館」なるものが存在していた。
私の所属する商学部にもそれはあった。
共通の図書館は21:00に閉館するのだが、学部図書館はそれより三十分遅く、つまり21:30まで使用可能である。
と、確かにそのように聞いていた。
事実その前日までは、21:30まで問題なく滞在できていたのである。
ところが突然それが叶わなくなった。
本試験も近づく初夏のある日、数名の利用者に交じって私は、学部図書館の机にTACのテキストを拡げ、苦痛な簿記と向き合っていた。
するとその日は何にやら男子学生らしき二人が、受付カウンターでごそごそと話す声がずっと聞こえてくる。
どうやら図書館受付の新任のバイト生が来て、引き継ぎをしている気配であった。
話しぶりからすると、二人は旧知のようである。
そのうち、時刻は21時をわずかに過ぎた。
すると新任の方がこう云うのが聞こえた。
「チッ、まだいるよ」
明らかに我々利用者に対し、聞こえよがしな声色である。
勉強に適した環境とは
静かに心落ち着けて集中できる環境で勉強したい。
国家資格の受験に人生を懸けているのであれば、そのぐらいの望みは許されるであろう。
しかし、なかなか思い通りの環境は得られなかった。
まず、己自身が棲息するアパートの居室はどうだ。
問題外だ。
あまりにも雑然としている。
ここは ”集中しないための部屋” だ。
私は昔も今も片付け下手なのだ。
TACの自習室は快適な環境だが、水道橋までわざわざ遠出したうえで満席だった場合のリスクが高い。
実際に引き返した経験がある。
大学の共通図書館には ”計算自習室” なるものが存在し、特別に壁で仕切られていて、電卓を叩くことが許されていた。
この部屋が最善の選択だった。
しかしそれほど広くなく、満席のことが多かった。
とくに六、七月は税理士受験生のみならず日商簿記検定や公認会計士試験の受験生も利用する。
また仮令席が確保できたとしても、他人の下手くそな電卓の音にイライラさせられることがあった。
電卓の打音を極力抑えることが美しい解答スタイルである、というのが私の矜恃だった。
ギターの演奏に喩えるとこうだ。
自分の持つ技量以上の速さで弾こうとすると身体に余計な力が入る。
そのためスムーズな動きは阻害され、決して美しい音色は奏でられない。
電卓もそれと同じで、技術が無いのに無理やり速く叩こうとすれば手に余計な力が入り、望むほどスピードも上がらず正確性も確保できない。
何よりバタバタガチャガチャと、立ていでもよい不快な騒音をまき散らす結果となるのである。
私はその美しいスタイルを実現するため、第18話で述べた通り電卓の技術を猛特訓してきたのだ。
そして最後の選択肢が最前述べた「学部図書館」である。
ここも電卓は使うことができたが、そもそも問題があった。
まず利用者の私語がまかり通っていること、もう一点は空調の設定が思わしくなく、常に室温が高いことだった。
緻密な計算問題を爆速で解かねばならぬ事情からすれば、どちらも我慢し難い。
そして追い打ちをかけたのが件の新任バイト生だった。
無言の圧を受ける
私はそのバイト生に、刺すような目で睨め付けられることとなった。
顛末はこうだ。
学部図書館のトイレは、透明のガラスのドアを隔てた奥にある。
私が後架で用を足して戻るまでのほんの数分のうちに、そのガラス扉の鍵が閉められていた。
やられたと思いガチャガチャとやっていると、キツネ目で射るような目つきの男子バイト学生が、憮然とした顔でやってきて物憂そうに無言でドアの鍵を開けた。
内心ムッとしたが、和を重んじる日本人気質を正統に受け継いでいる私が礼儀正しく軽く会釈して過ぎ去ろうとすると、眼からレエザアビイムでも出すのではないかと云うほどの鋭い眼光で睨め付けられてしまった。
無言なれど、「チッ、もう閉館時間過ぎてるんだよ、早く帰れクソが」という心の声がその態度から漏れ出ていた。
明らかに意図的な嫌がらせではないか。
幼稚な、「もう閉館するぞ」アピールである。
私は云われなき罪で犯罪者に仕立て上げられた気分だった。
おそらくその新任バイト生は就業時間が21:00までと聞いていたのだろう。
本来の閉館時間は21:00なのか21:30なのか、遂に確認しなかったため真相はもう分からない。
仮令21:00が閉館時間だったとして、穏やかに説明してくれれば納得する話なのだが。
こっちとしてはめずらしく真面目に勉学に励もうという気分になっているのだ。
わざわざ異議を申し立てたり、反抗心に燃えて意地でも21:30まで粘ったりすることで事を荒立て、そのやる気を僅かでも削がれたくはない。
よって向後学部図書館の利用を、極力控えることとした。
電卓の騒音にしろ私語にしろバイト生の失礼で幼稚な態度にしろ、共通しているのはモラルや他者を気遣うマナー、エチケットに欠けるということだ。
迷惑を掛けているという自覚のない者は始末に負えない。
できることならそういう人間からできる限り遠くに居たい。
最終的に残った選択肢はやはり図書館本館の計算自習室だった。
いろいろな資格試験の日程が重なる中、この部屋で席を確保するのは容易ではなかった。
図書館の開館時間は朝9時だが、10時に行くと計算自習室はもう満席だった。
確実に席を確保するためには開館前から並ぶしかなく、昼夜逆転の乱れきった生活を正し、苦手な早起きを敢行せざるを得ぬ仕儀と相成った。
この時期はTAC、図書館、たまに大学の授業という過ごし方であったが、学内ではスーツ姿の友人らを見かけるようになった。
就職活動が始まっていた。
(続く)
跋語
『マル・エヴァンズ もうひとつのビートルズ伝説』/ケネス・ウォマック/シンコーミュージック・エンタテインメント/令和8年8月18日(火)読了
『コミック版 逆説の日本史 戦国三英傑編』/井沢元彦 千葉きよかず/小学館/令和8年8月21日(金)読了
『日本の戦闘者 現代のサムライは決してグローバリズムに屈せず』/荒谷 卓/ワニ・プラス/令和8年8月27日(木)読了
◆◆此の処の日乗◆◆
令和8年8月20日(木) GLIM SPANKYの大阪公演に参加
令和8年8月27日(木) 運転免許の更新、五年前の写真と比べて老いるショック(©みうらじゅん) に愕然とする
◆◆最近の未知との遭遇◆◆
NHK大阪ホール
クラフトバーガーなノにわ店
三豊麺 谷町店
SMショーパブ Jail-Osaka
◆◆お知らせ◆◆
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