複式簿記断腸録〈其の卅壱ー31ー〉なぜ「資格」なのか

前回までのあらすじ

平成元年、大学に入って簿記を始めたが、苦痛だった。
それでも税理士試験を受ける処までたどり着いた。
受験初年、散々に打ちのめされた。
二年目の受験が近づいていた。

資本のシステムに乗る

「いつまでも ”こんなこと” をやっていては駄目だ、と一念発起し、税理士試験の勉強を始めました。」



・・・・・・と云うのは、TACが発行する『TACNEWS』という情報誌(勿論当時は紙媒体)の講師インタビューの記事だった。
”こんなこと” というのは、 ”「レッド・ツェッペリン」のコピーバンドでギターを弾くこと” だ。

つまりその講師は、学生時代バンド活動に打ち込み、ジミー・ペイジのギター・プレイを模倣することに燃えるような情熱を傾けていたものの、就職の時期が来て、それを一切やめて税理士試験を受け始めたという次第だった。


ハード・ロックと税理士試験。
相容れない世界である。



余談だが、私は税理士業界に携わってすっかり長くなったものの、レッド・ツェッペリンが好きだという税理士にお目にかかったことは一度も無く、職員時代を含めても業界内でZEPを聴く人は皆無だった(日本中のどこかには居るのだろうが)。

私と云えば、高校時代からそのイギリスのバンドのレコードを愛聴していて、海賊盤にまで手を出していた。

複式簿記断腸録〈其の伍ー5ー〉もう戻らないレコード




この資本主義社会の中で生存していくためには、どうしたって ”資本のシステム” に乗らねばならない。
平成初期のあの頃、その選択肢は限られていた。
その講師の方は、そこに加わるための準備を始めたのだ。
細かい事情や心情は知らぬが、その選択が税理士試験だったのだ。





大勢に流されて生きる

折しも就職活動の時期となっていた。
学内では就職ガイダンスが始まり、スーツ姿の友人らを見かけるようになった。
皆、気楽な学生から乗り換えて資本主義の現実世界に加わろうとしていた。

根が雰囲気に流されやすい気質にできてる私は、一般企業を廻る気はなかったものの、当時ベストセラーだった『面接の達人』シリーズを一応は買い求め、それはそれで興味深く読んでいた。


大学入学で上京し、独居生活を始めてからというもの、私は極度に自己否定することが多くなっていた。
と云うのもこの頃から自身について、シニカルで投げやりで感情的で怒りっぽい一方涙もろく、ペシミスティックな拗ね者だということを自認し始めていたからである。
その反面理想は高く、釈尊のような悟りの境地を目指していたのだが、現実との落差の大きさに、自己嫌悪に陥ること度々であったのだ。

このような人格を拗らせた者が、組織に順応できるわけがない。
自分でそのことは重々分かっていた。

ではどのような形で社会に参画するのか。
それが問題だった。



ある時、学内でアンケートがあった。
その質問のひとつに「あなたはなぜ大学に入ったのか?」というものがあった。
それに対する私の回答はこうだ。
「大勢に流されたから」


明確にやりたいこともなく、ただ流されて生きてきた現実を自覚したのはその頃だった。
税理士になるというのは積極的理由からではなく、消去法だった。
生きていく糧を得るためには、何らかの形で労働せねばならない。
税理士が最適解というわけではないが、組織に向かない人間がそうするためには、分かり易い手法ではあった。

野放図な自己を、社会のシステムに合わせていく作業。
ある人にとってはそれが企業への入社であり、ある人には公務員試験であり、ある人には資格試験であった。


夢や希望を持って取り組んでいたわけではない。
義務感に駆られていただけなのだ。

それが資本主義下の労働者たる者ではないのか。

望みは高いが動機は低い

熱意も使命感もない私は流されるまま資格試験に手を出した。
受験二年目は、簿記論、財務諸表論、法人税法を受験の予定だったが、もっとも難関と云われる法人税は四月頃に早々に諦め、簿記、財表の二科目に絞っていた。

よしんばこの二科目が受かったとて、大学卒業後も五科目合格まで受験を続けねばならない。
それがどれほど大変な道であるか、その頃の私は勿論分かっていない。

平成四年七月下旬、バルセロナ五輪が開幕した。
本試験まであと十日だった。









(続く)




跋語

◆◆最近読み終えた本(ブクログに記録中)◆◆

『「あの戦争」は何だったのか』/辻田真佐憲/講談社現代新書/令和8年8月31日(月)読了

『栄光なき天才たち 4 下 島田清次郎』/森田信吾/ゴマブックス/令和8年9月3日(木)読了




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