複式簿記断腸録〈其の卅弐ー32ー〉起き抜けの金メダルで昂まる

前回までのあらすじ


平成元年、簿記を始めるが、苦痛に苛まれる。
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いろいろある。
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平成三年、税理士試験を初めて受けるが叩きのめされる。
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いろいろある。脱ぐ。
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平成四年七月、二度目の試験の直前期を迎える。←今ココ

朝型に矯正す

前世は夜行性の動物だったに決まっている。

早起きはずっと苦手で、今でもそうだ。
反対に夜更かしは大の得意で、深更眼はギラギラと妖しく輝きを増し、それに伴い脳も高速で回転し始めるから不思議である。

そのような気質故、学生時代は昼夜逆転の生活を送りがちになっていた。
平成初期のバブル華やかなりし頃、TVの深夜番組はコンプライアンスも緩く、どの局も自由で実験的で、そのまばゆき賑やかさに惹きつけられ夜更かしに拍車がかかった。

税理士試験は当然日中に行われ、簿記論は朝九時開始だからその時間に頭も身体も全力を出せるように照準を合わせねばならない。

試験日が近づくにつれ徐々に身体を慣らして行ったのだが、それに一役買ってくれたのがバルセロナオリンピックだった。


早朝の刺激

税理士試験を控え、オリンピックにかまけている暇はなく、さほど興味も無かったのだ。
しかも日本とスペインの時差は七時間、競技は日本時間では真夜中に行われるため、さすがにTVを見るわけにはいかない。

ところがある日、心が動く時が来た。

その日も大学図書館に朝から一日籠もって勉強に励んでいたのだが、小休止にロビーのソファに横になり、側にあった備え付けの夕刊を手に取ってみると、日本の金メダル第一号の岩崎恭子選手の写真が一面に大きく載っていた。

その、ゴール直後の驚きの混じった奥ゆかしき笑顔の写真を見て、私は岩崎選手をすぐ好きになり、駅の売店でスポーツ新聞を、書店を巡っては五輪関係の雑誌を購った。
岩崎選手はその時点で中学二年生であった。
・・・・・・そのように書くと、ナボコフ著『ロリータ』を想起される読者諸賢もおられるかも知れないが、私とて当時は21歳、ハンバート・ハンバートの域に達するにはまだまだ若輩と云うべき年齢である。



しかし、私が昂ぶったのは岩崎選手だけではなかった。

バルセロナオリンピックでは、日本代表にあと二つの金メダルがもたらされたが、いずれも男子柔道であった。

本試験五日前にもかかわらず深更友人と長電話してしまったのだが、翌朝は寝不足を押して定刻に起き、目覚めた時の常でTVのスイッチを入れると、『ズームイン朝』が 、
”柔道78kg級代表の吉田秀彦選手が、オール一本勝ちで金メダルを獲得”
と興奮気味に報じている。

吉田選手の得意技は ”内股” だった。
映像を見ると、
「今から内股掛けるぞ、掛けるぞ」
と云わんばかりに片足を上げ、相手選手も十分にそれを警戒しているにもかかわらず、狙い澄ました吉田選手の脚が切れ味鋭く相手をスパーンと跳ね上げたその刹那、敵はくるりときれいに回って背中を畳につけ、有無を云わさずに勝敗が決するのであった。

起き抜けから気分が昂じて眠気は一気に去り、根が外的な刺激に影響されやすい気質にできてる私は、何にやら全身に力が漲る気配。


翌朝、試験三日前。
今度は柔道71kg級で古賀稔彦選手の金メダル獲得を報じた。

大会前の乱取りで後輩の吉田選手と組んだ古賀選手は、脚に大けがを負ってしまったのだが、痛み止めの注射を討って強行出場した。

決勝はハンガリーのハイトシュ選手との対戦で、旗判定までもつれた。
勝利が決まった瞬間の、虚空を見上げて吠える古賀選手の表情が今でも目に焼き付いているほどだから、その日どれだけ気分が高揚したかが推し量られる。

女子に電話でたしなめられる

平成四年の二度目の受験は、東京ではなく地元に程近いA県N市の会場を選んだ。

前日にA県入りし、A県内の大学に通う高校時代の友人KS氏の居室に一泊させてもらう段取りとなっていた。
その部屋から、同じくA県内の別の大学に通う同学年の女子UYさんに電話し、久闊を叙した。

UYさんは、だらしない男子に容赦なく説教することで恐れられていたが、私は辛うじてその難を逃れていた。
その時電話で何を話したのか勿論覚えていないが、そこは根が直情的な気質にできてる私のこと、いかに岩崎恭子選手のことが好きかを熱く語ったのだろう。
「いくら好きでもどうなるモンでもないやろ」
と軽くたしなめられたことだけ覚えている。



翌朝は6時に起き、試験会場たるNK大学へと向かった。
体調は良好だ。








(続く)




跋語

◆◆最近読み終えた本(ブクログに記録中)◆◆

『誰もいない文学館』/西村賢太/本の雑誌社/令和8年9月4日(金)読了

『荷風さんの昭和』/半藤一利/ちくま文庫/令和8年9月8日(火)読了

『ムダなことなどひとつもない』/天台宗大阿闍梨 酒井雄哉/PHP文庫/令和8年9月9日(水)読了

『村越弘明 詩・写真集 真夜中の太陽』/村越弘明/KADOKAWA/令和8年9月12日(土)読了

『詩と永遠』/辻邦生/岩波書店/令和8年9月23日(水)読了



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