複式簿記断腸録〈其の伍ー5ー〉もう戻らないレコード

前回までのあらすじ

大学に入って簿記を始めた私は、その根本的な仕組みがどうしても理解できなかった。
所属したサークルS学会の部長の説明を聞いても疑問は解決せず、苦悩していた。
そして友人のKT君に対し・・・・・・。

気がつくと目の前は便器だった

どのくらい昏睡していただろうか。
気がつくと目の前に和式便器があった。
否、和式便器の前に私が居たのだ。
どうやら後架の中で突っ伏したまま気絶していたらしい。

既に外は明るく、世の中は慌ただしい日常を営み始めていた。
昨夜の喧噪は既に無く、私が雪隠に籠もっている間に、十人ほど居たはずの面々は私とU田氏を残し、三々五々帰宅したようだった。




・・・・・・さて今回は少し時を遡り、大学受験直後から筆を起こしたい。



喫茶SはM県M市の、幾分車通りの多い幹線道路沿いにある、貸ビルの一階部分に店を構えていた。
KT君のご両親はそのSの経営を生業とし、二階には二十畳ほどの宴会場と、KT君一家の棲まう居住スペースがあった。

大学受験を終えた平成元年の三月のある夜、喫茶Sの宴会場に高校の同級生十人ほどが集まり、ある者は喜びの、またある者は来年の再起を誓う酒を酌み交わしたのだが、受験の重圧から解放された我々は少々羽目を外し、再三に渡る「そろそろお開きに」というKT君のご両親の、やんわりとしたお咎めを全く意に介することなく、深更に至り宴は喧噪を極めた。

それほど飲み慣れぬ酒を調子に乗って呷った私は気分良く酔ったのだが、途中から記憶が無く、後架に立ったもののそのまま酔い潰れ、和式便器に覆い被さるようにして昏睡していたものらしい。

こういった集まりがあると必ず最後まで居残る、根無し草根性で共通しているU田氏と私は、既に営業を開始した喫茶Sを後にし、春の陽射しの中自転車を漕いで各々家路へついた。


さてここで私は大事なものを忘れたことに、後から気がついた。

レッド・ツェッペリンの海賊盤を置き去りにする

首都圏の大学を受験するために一カ月ほど在京した私は、東京に棲まう従兄弟にいざなわれ、新宿のとあるマニアックなレコード店を訪うていた。

海賊盤を数多く扱うその店で私が購ったのが、レッド・ツェッペリンのライブ盤である。

この海賊盤のレコードにはレッド・ツェッペリンの初期のライブが収録されていたが、正規のライブ盤(『永遠の詩』)では聴くことのできぬ曲ばかりであった。

値段は忘れたが良い買い物ができたと思い、友人らに見せようと、自宅で針を落とす前にその集まりにレコードを持参していたのだった。

そのレコードを、KT君宅に置いてきてしまった。



さりとて、KT君は私と同じ大学の同じ学部に進学し、下宿先も東京都下の同じF市内の、私は南口、KT君は北口に棲まう予定である。

遅かれ早かれレコードは手許に戻り、心ゆくまでZEPの『コミュニケーション・ブレイクダウン』の重厚なサウンドを堪能できるであろうと、私は高を括っていた。


それなのに、ああ、向後一切このレコードを聴けないなどと、この時露程でも想像しただろうか!

KT君への仕打ち

上京してF市内に下宿を始めた折、風呂なしのアパートに棲むKT君は、シャワーを借りに頻繁に私のアパートを訪のうて来た。
そんなことは別段構わない。
しかしKT君は私が往くところ、ゼミ、サークル、ずっと同じ行動を取り始めてS学会にも入部するのだが、正直に白状すると、私はそんなKT君と少し距離を取りたいと思い始めていた。


私の実家は当時、ある事情から重苦しいほどに緊迫した雰囲気であった。私はそこから逃れたくて仕方なかったので、折良く実家を出ての一人暮らしが、何より解放感をもたらす恰好と相成った。が、KT君はと云えば、一人っ子でおそらく仲の良いであろう親子三人の生活であったから、鑑みるに、ホームシックの気があったのやも知れぬ。

私は自由を謳歌したい願望強く、実家なんぞはもう知らぬ、新たな世界で新たな人生を!というぐらいの気持ちであったから、高校からの付き合いとは云い条、おそらく当時の心境的には正反対であったやも知れぬKT君と、ほどほどの距離感を保ちたくなったのである。
そして、常に横に居るKT君に対し、だんだんと無口になり、会話がなくなり・・・・・・私はぞんざいな対応をし始めた。



例えばこうだ。

ある雨の日S学会の部室で、先輩が私とKT君二人に、そこに居る部員全員分の飲み物を買ってくるように云いつけた。
無言で部室を出て、KT君の存在を無視するかのように私は雨の中を遠くにある自販機まで一人猛然とダッシュした。

しかし、部室を出たすぐの処に別の自販機があり、わざわざ雨の中を走ることはなかったのだ。
私はそれを知らなかったので、KT君に「先に言うてくれよ」と軽く苦情を告げたのだが、「だって急にダーっと走って行くから・・・・・・」との返答に、何も云い返すことができなかった。
疎略な態度を保ちながらも、心の奥深い場所で己の行動を恥じていたのは間違いない。
KT君はさぞ嫌な思いだったであろう。
己自身、思い出す度自己嫌悪に陥る。

もう戻らぬレコード

大学においてはコンパなるものが頻繁に行われるのであるが、当時は ”イッキ飲み” 横行の時代でもあり、度を超したアルコールの摂取も日常茶飯事である。
私はあちこちの新歓コンパで、己の許容量を大幅に超えたアルコールを体内に流し込んだ上は、平時の殻を破り捨てて感情を全開放する癖を抑えること能わず、少々問題を起こすこと度々である。私は先輩や同輩と馴染めず打ち解けず、遂にはS学会を辞する意を固めた。

そしてS学会を辞すると同時にKT君との縁も切れることになる。
もうシャワーも借りに来なくなり、レッド・ツェッペリンのレコードも戻らぬことと相成った・・・・・・。




(続く)


跋語

◆◆此の処の日乗◆◆

先日受けたる取材につき、地元新聞に掲載されたり

https://yomotto.jp/2025/03/26/2830047/#google_vignette


◆◆最近の未知との遭遇◆◆

とある運転代行


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