複式簿記断腸録〈其の柒ー7ー〉母が家を出る

前回までのあらすじ

平成五年、税理士試験の簿記論に三年連続で落ちた。

元を質せば平成元年、大学で初めてそれに触れて以来、簿記というものが何にやらしっくりこない。
その六月の簿記検定試験を投げ出した数日後、母から手紙が届いた。

黒猫は息災にあらむ

どういう経緯で飼うことになったのか覚えはないのだが、高校時分、実家にて ”モンプチ” と云う名の黒猫を飼っていた。
家族は略して ”モン” と呼んでいた。
その猫は血気盛んで好戦的、居間で寝そべっている私に威嚇しながら飛びかかってきては格闘することしばしばであった。
近所のボス猫らしいサバトラ(灰色の虎毛)としょっちゅう喧嘩しては、傷だらけになって帰ってきた。



平成元年、大学一年の六月十九日、私が棲む東京のアパートに母から電話があった。

特段用事がある様子ではなかったのだが、私は中学三年生ぐらいの頃から母とほとんど会話しなくなっており、何気ない会話というものができず、電話で喋るのも口ごもった感じで、愛想のないこと甚だしかったであろう。
そうは云い条、電話で押し黙っているのも何であるから、飼猫のことなどを話題にしようとするが、愛称の ”モン” と呼ぶのも照れが先行したため、その小動物の一般的呼称を用いつつ、
「ネコは(元気か)?」
とぶっきらぼうに尋ねるのみである。

その時の母の返答、
「元気にしてるみたいよ
の「みたいよ」という語尾の中に、「我存ぜぬ」との語感を嗅ぎ取り、何にやら胸騒ぎがした。


その短い通話があった二日後の六月二十一日、母から厚めの封筒が届いた。
しかし、差出人の名前は母であるにもかかわらず、その住所が実家のM県M市ならぬ、京都府長岡京市とある。
素破、悪い予感が的中したかと、さっと血の気が引いて視野狭窄になりつつ、郵便受けから居室まで足早に戻る。
封筒を破るのももどかしいほどに気持ちがつんのめって、乱雑に封入口をこじ開けて指を突っ込み、便せん十枚程からなる長文の手紙を取り出した。

五月下旬の某日、妹二人に話を含み置き、家裁に離婚調停を申し立てた上で家を出たとの知らせである。

「みたいよ」とはそう云うことだったのだ。

手紙はこのような決断に至るまでの大元の原因と、ここ十五年ほどの経緯をしたためていた。
私の知らないことであった。

否、知らないこと、というのは正鵠を得ておらぬ。
何にか子供に云えぬ隠し事が両親にあるのだろうと想像はついていたのだが、その答えを漸く知ることができたという塩梅の方が近い。
無論、それをここに書くことはできぬのだが。


はっきり憶えている限りで母の家出は私が幼児の頃、小学生の頃、そして今回と三回目であり、今回が最後の家出、つまりもう家に戻ることはなかったのである。

最悪の予期が現実になったと知り、母自身の感情と私への謝罪をも交えたその手紙を読みつつ、無意識に横隔膜がしゃくり上がり、私は声にならぬ嗚咽を吐き出した。
悩み事があると眠れなくなる質なので、その晩もそうなることを恐れ、寝床では頭を空にして自らの呼吸に全集中し、気絶するように眠りに落ちた。

リアル羅生門

両親はお互いの精神を破壊し合いながらも、息苦しく破綻した家族生活を何年も続けた。
両親の仲が悪いと云えばどこにでもありそうな話で陳腐に聞こえるが、当家の場合は喩えて云うなら父が検察官または刑務官のような立ち位置、母が被告または受刑者のような立ち位置といった力関係であった。
父はいつも詰問口調、母はそれに過度に遠慮するような調子で、両親が ”普通に” 会話している場面は私の記憶にない。

そんな家庭内の不穏な緊張感は、私が上京する直前に頂点に達していた。

私は家を出ていたからまだ良かったが、真ん中の妹は高校二年、下の妹は中学を出て高校に上がったばかりである。
突如母が居なくなり、動揺は激しかったであろう(母に一番懐いていた ”モン” も)。
真ん中の妹は既に道を外れかかっていたし、下の妹はその後、高校を辞めると言い出すことになる。



母の手紙が来た翌日、私は父に手紙を書き、事態の修復を懇願したが、私が考えているよりも状況は深刻であった。

父の証言と母の証言の微妙な食い違いは、今になって思えば恰も芥川龍之介の『藪の中』、黒澤明の『羅生門』さながらであった。

結句、八月初旬、離婚は成立し、三人の子の親権は父が取得した。

夏休みに帰省すると、父は憑き物が落ちたようにそれまでピリピリりしていた態度を一変させて明るくなっていた。
(蛇足だが、私の友人たちはこの明るい父しか知らぬので、父に関する友人たちの勝手な見解に、内心激しいいらだちを覚える機会が、この後何度か訪れる)

葛藤の根源

父は親戚や顧客(家電小売店を営んでいた)の前では明るく快活な姿を見せ、対外的には評判が良かったが、家庭においては正反対で、表裏の落差が激しい二重人格であった。
仮令我々子供に一見優しくとも、母に対する冷酷な態度が子供の心を無意識に固くさせた。
私は高校生の時まで、かように父が恐ろしかったので、父に対して真っ向から自分の意見を言うことができなかった(それどころか普通に会話もできなかった)。


思春期に十分に反抗心を焼き尽くしていなかったので、私の中で不穏なものが燻っていたのだろう。
私は二十代の中頃になってから父と頻繁に衝突することとなる。


母と云えば父の前では萎れた植物のような状態が常であったが、根は気が短かく激情型で、子供を叱るときは激しく打擲し物を投げつけ、時には家から閉め出して鍵をかけた。これもまた二重人格と云えるかもしれぬ。

その母とは、その後再会するまでに二十年以上の歳月を要することとなった。



この連載の主題である簿記のことと、家族のことは一見関係が無いようだが、自由に道を選べたならこの道を選んだかどうか。
この葛藤は、その後何年も私に従いて離れず、いつか霧消するかと思いきや、何度も消えては現れ、徐々に育って人生の一大テーマにまで肥大化し、いろいろな人を巻き込んでしまうことになる。




(続く)


跋語

◆◆最近読み終えた本◆◆

『若き詩人への手紙 若き女性への手紙』/リルケ/新潮文庫/2025年4月20日読了

『ボブ・ディランの詩学』/大八木敦彦/白船社/2025年4月27日読了

『「違うこと」をしないこと』/吉本ばなな/角川文庫/2025年4月27日読了