複式簿記断腸録〈其の捌ー8ー〉上京して戸惑いし田舎者

前回までのあらすじ

平成五年、23歳の時に受けた税理士試験の簿記論に落ち、三年連続不合格となった。
私は簿記が苦手だった。

遡れば大学一年の四月、勇んで始めた簿記に馴染めなかったのが始まりである。
六月の検定直前まで厭々勉強したが間に合わない。
そんな折、実家では母が家出して離婚調停が進んでいた。

上京直後の戸惑いの日々

生活環境が大きく変わった年というものは人生の中でも印象に残る。
私にとって平成元年は、大学生となって実家を出て上京し、一人暮らしを始めた年であり、大きく環境が変わった。
特に上京した四月から夏休みに入るまでの三ヶ月半は、その変化に対応するために四苦八苦していたように思い返される。


上京してすぐ、アパートと同じ敷地内にある大家の家に、実家の父に持たされた手土産を持って挨拶に行った。
しかし予想外の冷淡でドライな応対を受け、ウブな田舎者は初っぱなから戸惑った。


銀行口座を開設に行けばこのようなことがあった。
私鉄K線F駅前には、当時の都市銀行である三井、三菱、住友の三行が軒を連ねていた。
私はどの銀行にしようか一瞬迷ったが、吸い込まれるように三菱銀行に入った。
今思えば、故郷のM県M市が発祥である三井にしておけば良かったのだが・・・。

三菱銀行F支店の窓口の女性は、おそらく私のお上りさん丸出しの恰好や所作振る舞いを見て小馬鹿にしていたに相違ない・・・と云えば被害妄想になるかも知れぬが、これまた大家同様の、仏頂面で居丈高なすげない応対に、ウブな田舎者は東京に歓迎されていない気持ちになった。
最後には言われるがままに定期積立までさせられてしまい、おそらくノルマがあったのであろうが、カモを餌食にした窓口女は漸く愛想笑いを浮かべた。
その後もその銀行の窓口では嫌な思いばかりが印象に残っている。



また、電車についても苦い思い出がある。

田舎育ちの私は、電車というものに乗り慣れていなかった。
当時はICカードなどは無くすべて紙の切符で、改札には切符切りの駅員が常駐していた。
我がC大学は東京都下の遙か西に位置していたため、大人数の飲み会となるとはるばる新宿まで出張るのが常であった。
しかし私鉄K線と、JRの降り口までの連絡路の間に改札があり、そこでは切符を見せるだけで通り過ぎなければならぬ処、そんな謎のルールがわからぬ私は何度もそこで切符を渡してきてしまい、改札を出られぬ罠に陥れられたものである。
(地方出身者には絶対わからぬはずである。不親切が過ぎる、と強く言いたい。)


電車の乗り降りにも戸惑った。
ある日、満員電車のドア付近に立っていた私は、ドアが開けばいったん外に出て乗降者の妨げにならぬように端で待機する、というルールなどもちろん知るはずもなく、ドアが開いても出入り口のど真ん中に踏ん張って立っていた。
ここで降りたらおいて行かれると思っていたのである。
「え?え?」と私の後ろで戸惑う女性。
「降りりゃいいじゃん!」と男の罵声。
ああ、ウブな田舎者は東京に来るべきではなかったのだろうか・・・・・・。

朝日新聞を通報する

極めつけはこれである。

私の田舎では当時、外出せぬ限りは玄関の鍵は開けっぱなしにしておくのが常であった。
当然その感覚のまま上京してきた私は、誰が訪問してこようと不用意にドアを開けて応対していた。

四月のある昼間、そこへ朝日新聞の勧誘員がやってきた。
私はいつもの如く気軽にドアを開けると、ずいと中に入ってくる20〜30歳ぐらいのガタイのよい勧誘員が、むっつりした面持ちで新聞の購読を迫る。

断ると肉弾戦に入ってくる。
罵声を浴びせられ、まずヘッドロックされる。

驚いたが、それでも押し返して断り続ける。
しばらく押し問答が続く。
最後に股間に蹴りを入れられる。

強引にドアを閉じ、鍵を閉める。

しばらく時間をおいてから交番へ行き、被害届を出した(進展は何もなかったが)。

その日を以て私は、イデオロギーに関係なく、朝日新聞だけは何があっても一生涯購読しないと決めた。
朝日新聞出版の本も絶対に買わないと決めた。

そして呼び鈴が鳴れば最大限の警戒を怠らぬようになった。



この出来事を最近ある知人に話した。
その知人は、私より10年ほど若年で、同じM県出身者だが、上京した折下宿先の中野のアパートにて、読売新聞の勧誘員にナイフを突きつけられたという。
平成の中頃まではこういった強引な勧誘がはびこっていたようである。

昨今、芸能界における過去の出来事を何十年も遡って問題にする風潮があるが、新聞社および販売店のこういった問題行動ももっと公にしてもらいたいものである。

東京が嫌になる

他にも細々した事件が多々あったが、ここでは割愛しよう。
とにかく、田舎者の私は都会のルールを学ぶのにさまざま犠牲を払った。
上京してほんの何日かで気持ちは萎え、東京を拒絶したくなった。
そこへ簿記の苦痛や両親の離婚などが重なり、鬱屈した日々が続いた。


そして七月下旬、夏休みとなり初めての帰省と相成ったのだが、母は居なくなっていたものの、意外にも羽を伸ばすことができた。



(続く)


跋語

◆◆最近の未知との遭遇◆◆

四日市 CHERISH TIE (『蝋人形の館』を熱唱す)


◆◆最近読み終えた本◆◆

2025年4月29日〜6月7日

『さみしい夜にはペンを持て』/古賀史健/ポプラ社/2025年4月30日読了

『50歳からの大学案内 関西編』/花岡正樹/ぴあ/2025年5月3日読了

『ジジイの文房具』/沢野ひとし/集英社クリエイティブ/2025年5月5日読了

『サラダ記念日』/俵万智/河出書房新社/2025年5月7日読了

『村上さんのところ』/村上春樹/新潮社/2025年5月8日読了

『寝ながら学べる構造主義』/内田樹/文藝春秋/2025年5月19日読了

『どうしたらいいかわからない時代に僕が中高生に言いたいこと』/内田樹/草思社/2025年5月19日読了

『そんなとき隣に詩がいます』/谷川俊太郎、鴻上尚史/大和書房/2025年5月19日読了

『根津権現裏』/藤澤清造、西村賢太 校訂/角川文庫/2025年6月7日読了