
前回までのあらすじ
平成五年、23歳の時に受けた税理士試験の簿記論に落ち、三年連続不合格となった。
私は簿記が苦手だった。
遡れば大学一年の四月、勇んで始めた簿記に馴染めなかったのが始まりだった。
簿記だけではなく東京での生活にもなかなか馴染めなかったが、初めての夏休みに帰省し・・・・・・
我帰省す
朝目が覚めて掌の痛みに気づいた。
見ると、両の手をズルズルに擦りむいている。痛い。
着ている服もドロドロに汚れている。
これは一体如何なる事態であろうか。
傍らに居るT柳氏が脚をさすっては呻いていた。
ああ痛い・・・・・・どうした?・・・・・・お前が田んぼに突き落としたのだ!・・・・・・まさか!
己の掌のことも、T柳氏の脚のことも、身に覚えがない。記憶が無い。
昨晩何があったのだろうか。
私は平成元年の七月下旬、東京から故郷のM県M市に、初めてとなる帰省をしていた。
僅か四ヶ月ぶりとはいえ、人も言葉も風景も、すべてが懐かしく思われた。
その夏休み、地元の自動車学校に通いつつ、高校時代の旧友たちと多くの邂逅を果たし、方々で久闊を叙した。
そしてまた、毎週のように誰かの居宅に集まっては酩酊を繰り返していた。
我泥酔す
関西から帰省しているN中氏の自宅に五人ほどが集ったのは平成元年八月十九日であった。
大学一年生の気楽な身の上、宵の口から酒を体内に流し込むことおびただしい。
自然、談笑の声は大きくなり、際限を覚えぬ運びとなる。
途中、N中氏の御尊父とご令妹に度々静かにするよう勧告を受けるが、はち切れたテンションは暴走するのみである。
前後不覚と相成った頃合い、外を散策して酔いを醒まさんとて我らはふらふらと外出した。
真夜中である。
私の朧気な記憶と、翌日の友人たちの証言を元に再現すると、こうである。
まずは自動販売機に大きく記された「UCCコーヒー」なる電光掲示板を、私はひと文字ずつ指さし、
「ゆー!しー!しー!こ、お、ひ、い!」
と何度も大声で読み上げると、それを友人らに唱和させた。
其処に警官が通りかかったが、すかさず敬礼し、事無きを得る。
暴走族に比べたら可愛いものである。
そしてふらふらと歩き続けるうち、これは記憶が無いので想像だが、私のいたずら心がムクムクと湧き出でたのであろう、通り沿いの田んぼに向け、ほんの少しT柳氏を突いた。
M県M市地方は比較的米の収穫が早い。
五月の黄金週間中には田植えを終え、刈入れは八月の下旬である。
その、刈入れ前のほぼ実った稲の海へ、T柳氏は吸い込まれていった。
そこで脚を痛めたのだという。
これは申し訳ないことをした。
三十六年を経て、改めてT柳氏と農家の方へ公に謝罪しよう。
N中氏の自宅は、御尊父が新興住宅地に新築されたばかりであった。
周りにも建築中の住宅がいくつかあり、ちょっとした資材が積まれていた。
建築中の家の前の道路に、一台の車が停まっていた。
中にはカップルが乗車していたらしい。
らしい、と云うのは私には記憶が全くないからである。
そのカップルが乗っている車のドアを、私は開けようとした(らしい)。
すわ、酔漢に襲われん、と慌てた運転席の(多分)男性の方がやにわにエンジンをかけ、急発進して走り去ってしまった。
今度は虚を突かれた私が、目標物が急に目の前から居なくなったものだから、傍らの建築資材である砂山の脇に、
”ビターン”
と音がするほど前のめりにこけたらしい。
厭と云うほど掌を擦りむき、衣服をドロドロに汚したのはこの時だったのである。
散策から居宅に戻るとすぐ、友人がウィスキーによるアルコール消毒を我が掌に施してくれたらしい。
私は口以外に掌からもアルコールを摂取することとなった。
せっかくの友人の親切であったが、消毒のあまりの痛さに友人を散々罵倒したというのを翌朝聞かされた。
我帰京す
その夏は最前述べたような痛飲を定期的に繰り返すといった具合で、東京で縮こまってしまった心身を、伸びきってたるむほどに伸ばした。
八月初旬には両親の離婚が正式に成立し、子三人の親権は父が取得する。
既述のように、父はそれまでの神経質な態度を豹変させ、家においても外と同じような明るい人格へと変貌した。
当初、両親の離婚は受け入れがたかったが、却って自宅が気楽な場所になるとは予想外であった。
下の妹が高校を辞めて家を出ると言い出すのはこれから一年の後だが、父は父なりにひとり親として大変な時期だったであろう。
そして私は、九月十五日に帰京した。
十一月の日商簿記検定は、それまで苦しんだのが嘘のようにあっさりと合格した。
(続く)
跋語
◆◆最近読み終えた本◆◆
『田中栄光傑作選』/田中栄光、西村賢太 編/角川文庫/2025年6月12日読了
『ロリータ』/ナボコフ、若島正 訳/新潮文庫/2025年6月18日読了