鶴瓶の抜け殻
小学生の時、少しだけ柔道の道場に通ったが、4級?の黄緑帯でフェイドアウトした苦い思い出あり。
ただ、今でも観る方は好きで、ほとんどオリンピックの時にしか観戦はしないのだが、柔道は観ていて楽しい。
中でも私が好きなタイプの柔道家は・・・
それは日本人外国人を問わず、感情が抑制的な柔道家である。
勝っても負けても淡々、黙々と所作を行うところに感動を覚える。
己自身と言えば、感情の振り幅は割と大きめのタイプで、
そういった抑制が苦手な人間。
だから余計にそういった抑制的な所作ができる人は、無条件で尊敬してしまう。
感情の抑制といえば、
かつてのTV番組、『鶴瓶・上岡パペポTV』での、
笑福亭鶴瓶さんの「抜け殻」という手法が面白かった。
鶴瓶さんといえばいつもニコニコ、誰にでも気さくに接するイメージがある。
しかし、そんな鶴瓶さんとて、内面にどす黒い「悪瓶(わるべ)」を飼っておられるようだ。
顔ではニコニコ笑いながら、腹が立った相手には ”鶴瓶の抜け殻” が飛んで行ってボコボコに鉄拳制裁を加える。
『ジョジョの奇妙な冒険』の”スタンド”はもう漫画ででていた頃であろうか?奇しくもネタがかぶっていたようだ。
(よく考えてみると、抜け殻が飛んで行くというより、飛んで行った後の本体が抜け殻になる?・・・まあそんなことはどうでもよいとして)
それを番組内のトークで、アクションを加えながら面白おかしく話をされていた。
抜け殻の話は、番組で頻繁にされていたのでだんだん浸透し、
ほかの芸能人から
「今、抜け殻はどこにいらっしゃるんですか?」
と聞かれた話とか、
また一般視聴者からは
「僕も抜け殻のおかげで感情が表に出なくなりました」
とはがきが寄せられたりしていた。
抜け殻という手法で感情がコントロールできるとは、面白い方法だなあ~と思ったものだ。
むき出しの毒
私はあまり見ないのだが、SNSやネットの投稿などの、むき出しの毒々しい投稿がよく問題になっているようだ。
一昔前は、公共の場に出される発言には一定のフィルターがかけられていた。
誰でも自由に発信でるわけではなく、
例えば新聞雑誌であれば、編集者などの第三者によるフィルターを通過しなければ掲載してもらえなかった。
その時点で、極度に問題になりそうな意見は排除されていたと思う。
しかし時代は変わり、今はだれでも簡単に、ダイレクトに、毒を公表することができる。
解毒処理されていない純度の高い毒が、たれ流しになっている状態なのかもしれぬ。
人間たるもの、悲しいかな毒製造工場を内包する。
くすぶったどす黒いもの、重い荷物、これらを解毒処理しないまま垂れ流すと殺伐とした世の中になってしまうのではないか。
個人差はあれど、内面に毒が発生するのは必然であり、いたしかたが無いことだと思う。
問題は毒の処理であり、適切に処理しないと、他人だけではなく、自らをも蝕む。
上座部仏教のスマナサーラ長老のことばをひきたい。
「いいこと」が苦しいのは瞬間だけ。
後は思い出すたびに楽しいのです。
「悪いこと」が楽しいのは瞬間だけ。
後は思い出すたびに苦しいのです。
出典:ブッダの教え1日1話
一時的には、たまった不満を毒として吐くのはすっきりして気持ちいいかもしれない。
しかし、毒をまき散らした後はだんだん後悔が襲ってくるという経験は無いだろうか?
私はある。
解毒処理しよう
人間たるものが、自然と毒を内製してしまうなら、
意図して解毒処理工場をも内製してしまおうではないか、というのが私の提案である。
何も難しいことではない。
ネガティブな感情を抱えたときに、
例えばそれをノートに書き連ねてみる。
周りにまき散らす代わりに、自分だけの毒処理場に吐き出すのである。
しかる後、心がニュートラルを取り戻したとき、改めてその毒吐きメモを読んでみる。
そこでこう思う。
「ああ、なんとどす黒いのだ。自分とはこの程度の人間のだなあ」と。
ここで冷静に客観視できたならなおさら、人前ではこういう姿を見せぬようにせねばという自戒にもつながろう。
または鶴瓶さんよろしく抜け殻を発動させるのもアリ。
自分だけの解毒装置を持っておきたい。
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