
発端
根が遠慮がちにできてる私は、滅多なことで激しく自己主張を押し通すことはないのだが、その夜友人のK池氏を声高に罵ったというのは、自己弁護すれば次のような次第であった。
その日は大学の仲間と三人で酒を呑んだ後のM下氏の下宿で、どう云う話の流れであったか、K池氏が私に向かって「ポール派は黙ってろよ」との軽い挑発の言葉を吐いたことに対し、酔いが廻って火がついた怒りに任せて、私が暴発したものである。
15歳の頃からただただFAB4、つまりビートルズの四人をこよなく愛し、公式ファンクラブにも在籍し続けていた大学生の私は、ジョン・レノンだけを特別扱いする二人の物云いに、かねてから憎々しげな思いを抱いていたものを、この日遂に感情の防潮堤が決壊する仕儀に陥った。
ビートルズと云えばジョン、ポール、ジョージ、リンゴの四人であり、中でもジョン・レノンとポール・マッカートニーが中心的役割を担い、人気も二分していることは敢えて説明するまでもないと思うが、大体においてジョン・レノンの篤信者が多い中、私にはむしろジョンを遠ざけたい気持ちの方が大きかったことは次に述べる理由による。
トラウマ
公式ファンクラブである「ザ・ビートルズ・シネ・クラブ(現ザ・ビートルズ・クラブ)」が毎年数回催すフィルム上映会、「ビートルズ復活祭」に高校1年の頃から一人で参加していた私は、特段友達が居なかったというわけではなく、当代流行の音楽に迎合するよりは、ロックの原点を求めて我が道を一人進む方を選択するというような、少し変わった志向を持つ高校生であった。
私が生まれた昭和45年にビートルズは事実上解散状態になり、それから15年余を経てビートルズが懐メロ状態にあった其の時の音楽シーンは、パンクやニュー・ウェイブに替わり、ハード・ロックとヘヴィ・メタルが全盛期を迎えていた。
ひとりビートルズを追求していた私は、FM誌から切り抜いたFAB4のポートレイトをクリアフォルダ式の下敷に挟み込んでいたが、これを見た同じクラスのOが、ジョージ・ハリスンの顔を指さして「こいつ、アホみたいな顔しとるのう」と如何にも下卑た笑いを浮かべながら小馬鹿にした。
虚栄心の強いこのOという人間が、実はさほど好きでもないオジー・オズボーンやヴァン・ヘイレンを、ただ周りの友人らに流されて無理に聴いているだけで、本当は何処が良いのかさっぱりわかっていないことを喝破していた私は、軽侮の一瞥をくれただけで此を相手にせず、アホみたいな顔をしたアホのお前がロック好きを騙るな、お前が本当に好きなおニャン子クラブだけ追いかけてろ、ジョージと、全世界のビートルズファンと、そして音楽全般とに謝れ、と心中呪詛の言葉を呟いたものだ。
さて話を戻すと、そのビートルズ復活祭で見聞した、ジョン・レノンの前衛的作品のいくつかが、私の心をしてトラウマを形成せしめたのである。
まず『トゥー・ヴァージンズ』というアルバムの、ジョンとオノ・ヨーコの音のコラージュの不気味さ加減と、二人が局部丸出しの全裸で並んで立っているジャケット写真の負のインパクトとが相まって、根が純情にできてる高校生の私の理解を遙かに超えてしまったジョンを、全身で拒絶してしまった。
また、静止したジョンの顔のアップのみを撮影し、無表情な顔が何分もの時間をかけて徐々に笑顔に変化していくだけ、という映像作品や、森の中を追いかけられてひたすら逃げていく人の目線で撮影したものなど・・・理解できないどころか、正直なところおぞましい感情しか湧かず、ジョンを遠ざけたい気持ちが募る一方となってしまった。
そしてまた、ビートルズ解散後のジョンのソロ曲の暗さと重さが、私にはどうにも受け入れがたく、プラスティック・オノ・バンドよりも明るくキャッチーで分かり易いポールのウイングスの方が、精神的な葛藤なしに聴くことができたので、こちらを好んだのだった。
とは云い条、私はけっしてK池氏に厭味られたようなポール派(そうやって括ることがまず理解できないのだが)ということはなく、ビートルズで好きな曲と云えば、ウォルラス、ストロベリー・フィールズ、トゥモロウ・ネバー・ノウズ・・・ほとんどがジョンの曲であるし、冒頭述べたようにあくまでビートルズというグループをこそまず愛していたので、ジョン派もポール派もないのであった。
であるからジョンのソロ曲『God』の歌詞、 ”Don’t believe in Beatls” の部分でまたぞろ、ビートルズを否定するジョンに対しネガティブな感情が芽生えたのも無理からぬ事であった。
しかし、其のジョンの暗さと重さから距離を置きたいという感情は、とりもなおさず、己自身の内面の深淵なる部分から目を背けたいという意思に端を発していたと、後年気づく。
Is He Deep?
年旧りて、ビートルズ関連の文献を読み重ねると、ジョンと云う人物は複雑で歪んだ、難しい性格の持ち主だったのだと感じるようになり、ようやく私の中に氷解するものが生起した。
つまり、このようなまどろっこしい愚文の羅列を書き連ねていることから想像できるように、私自身も重度の拗らせを抱えた類いの人間であり、おこがましくも両者の共通点を見出すに至り、ようやくあの暗さを受け入れることができたのである。
ジョンがビートルズ時代に出版した絵本の、ポールによる緒言から引用すると
How he was cleverer than he pretended. (ジョンの育ての親たるミミおばさんが言うには)、彼は馬鹿みたいに振る舞っているが、本当はそうでなはいのだ。
Is he deep? 彼は深淵な人間なのだろうか?
『In his own write』より
私はジョンとヨーコのラブ&ピース的な一連の行動には興味がない一方、あくまで私見だが、ジョンが自身の闇を超越するため、知らず無意識的に道化の振る舞いをしていたのではないかと想像し、その側面には共感を感じ、惹かれる。
冒頭で述べたK池氏との軽い諍いは、彼らが傾倒していたラブ&ピース的な側面に私が無関心で、また、私が己自身の複雑な心情を未だ自覚できて居ず、ただただジョンを遠ざける気配のみを彼らに察知せしめ、以てポール派なるものとして括らせてしまった、致し方ない情況に端を発していたかも知れぬ。
而してジョン・レノンのおかげで私は、この自分でも手に余る拗らせた性質を、少しは肯定できるようになったのであった。
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