序
TPOに合わせた服装すること――根がスタイリストであると同時に、根が周りから浮いていないかを異常に気にするセンシティブ気質にできてる私は、特に服装にうるさいところがある。
私自身にとって向後一切縁がないことは疑う余地もないのであるが、もし欧州主導の国際的なイヴェントに出席するならレジメンタルネクタイやボタンダウンシャツは御法度、タキシード以外で黒のスーツは決して選ばぬこと云々・・・
こう云った無駄な知識だけは蓄え、それを使う機会がないために脳中の要らぬ肥やしとして発酵し、はなはだしく異臭を放つ恰好である。
そうは云い条、その場にふさわしい服装を適切に選び取らねば思わぬ恥辱を被る恐れがある。
例えば――
舞台におけるデーモン閣下は素顔たる悪魔の姿で活動するが人間社会においては世を忍ぶ仮の姿(人間の顔)で活動しておられる。
はたまた柔道着でビーチバレーの試合に出る選手はおらぬし、野球のユニフォームに帽子をかぶって百メートル走に出場する選手もいないのである。
さらに云えばSMクラブにおけるM男ならばブリーフ一丁が正装というのは周く知られた常道であろうし(+αで覆面を被るのがよりフォーマルか)――夏の海水浴場では水着、病室では寝巻、 これを混同してはならぬ。
そういった失敗例をお話ししよう。
入院患者、海へ行く
私は23歳の8月下旬、鼻の骨を削る手術をして2週間入院していたのだが、その夏は記録的冷夏でお盆を過ぎてようやく夏の気配来たる流れ。
病室には一日早く手術したT本氏が先客として入院しており、年の頃は私の一つ上で高校の体育講師をしている元N体大のラガーマンであった。
開放的でよく話すT本氏と意気投合し、我々は寝巻のまま、夜な夜な病室を抜け出してはコンビニへ買い出しに出かけていた。
脱走は徐々にエスカレートし、夜中こっそり実行していたものをいよいよ白昼堂々と病院を出、駐車場に駐車中のT本氏の軽自動車にて街のあちこちを回り出す運びとなった。
まずは私の家に行き、ギターやCDを持ち出そうと謀るが自営業の父親が自宅に戻っている気配でこれを断念、次にT本氏の自宅へ行ってこっそり持ち出したのはついこのほど経営破綻したフェルナンデス社製のミニギターZOーⅢ(ゾーさん)である。
その日から病室は大学生のたむろ場のようになった。
そうは云い条、入院患者たる我々は基本的に病室に籠もっておらねばならず、この遅れてきた夏を十分に味わえぬもどかしさに若いエネルギーを持て余す恰好である。
そこでT本氏の提案は我が松阪市が誇る狭ーい海水浴場、松名瀬海岸へ行こうという魅力的な持ちかけ。
我らは勇んで寝巻のまま、白昼の脱走と相成った。
結末
いざ到着し、海岸縁に車を停めて降り立つと、晩夏とはいえまだまだ強い日の光を眩しく反射した砂浜には、休日ということも相まって海水浴客で大賑わいである。
そんな中、明らかに異形である寝巻姿の我ら二人が浜辺の中程まで進むと、それまでビーチボールを弾き合って楽しげにはしゃいでいた水着姿の女子の一団が、俄に動きを止め目を丸くしてこちらをなめ回すように視てくる。
そこで初めて我々の恰好が真昼間の夏の海辺にふさわしくないことにハッと気づいた。
我らは24時間寝巻で居たので、もはや感覚が麻痺し、どうでも寝巻が正装として通ずるとの著しい誤解を生じていた。
俄に恥ずかしさがこみ上げ、勿論海水につかる暴挙などできるはずもなく、しばしの間夏を味わった後、我らはすごすごと病院に戻ったものである。
そんな訳で、夏の海のTPOにおいては寝巻は除外されることを身をもって知ったのであった。
退院前日、私服のTシャツをハンガーに掛けていた処、常々脱走話を聞かせていた友人が何度目かの見舞いに来て、そのTシャツを見て云った処が
「これ、脱走用?」
との問い。
それに思わず私は割合大きな声で
「いや、脱走は寝巻」
と云ってから気づいたのは、検査の看護婦(当時看護師という言葉はなかった)が側に居たことであるが、その看護婦はこちらを見て苦笑するのみであった。
さても初手においては夜間に脱走するにも警戒していたものがだんだん大胆になっていき、最後は大声で脱走を自白する仕儀に陥ったものである。
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