
閑所の壁は厚く作るべし
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今となっては見なくなった汲み取り式便所だが、便器から穴を覗くと、底なしに思える真っ暗な淵に吸い込まれそうな心持ちになり、幼心に恐怖を感じたものだ。
その通称 ”ぼっとん便所” に、幼児だった私は面白がる叔父に両脇を掴まれつつ落とされそうになったことがあり、恐ろしい思い出として心に刻まれている。
”ぼっとん便所”は見かけなくとも、和式便所には未だによく遭遇する。
根がデリケートにできてる私はしかし、和式便所で用を足すをことはもはや考えられず、まずもってウォシュレットがないと私の敏感な菊門はもはや許してくれない。堅いちり紙で直に粘膜を傷つけるなど、もってのほかだ。
そして和式便所には思いも寄らぬデメリットがあることをここにお伝えしたいと思い、筆を執った次第だ。
さて30年ほど昔の話になるが、私が20代で最初に勤務した職場は建物がプレハブ造りであったため、閑所の壁も薄く水を流す音がうっすら外に漏れ聞こえるほどである。
なれば必然、水を流す以外の音も漏れるわけで、消化物を排泄するときに伴って奏でられる放屁の旋律なんぞも、職場の面々に披露することになりかねぬ。
根が恥ずかしがり屋にできてる私は、そのことが我慢ならず、排便の折は同時に水を流すことを慣例としていた。
ところがある日、その日は腹がユルく――そしてそういう時こそ音漏れには気をつけねばならず――常と同様、排泄と同時に水を流したのだが、それがしくじりだった。
その姿、猶ほ斬鉄剣を持つ五右衛門の如し
ここで読者諸賢に問うが、アニメ『ルパン三世』に登場する石川五右衛門が、彼の愛刀である斬鉄剣を手入れするシーンを回想できるであろうか。
打ち粉と呼ばれるらしい柄のついた丸い綿の道具で、刀を垂直に立てた五右衛門が、ルパンになにやら苦言を呈しながらポンポンポンと刀身を軽くたたくように手入れする場面である。
刀の手入れではないが、まさかその日、私自身がそのようなアクションをとらねばならぬことになろうとは、朝の出勤時の車中では及びもつかなかったことだ。
ご存じの通り、和式便所の場合、跨いだ両足を便器の両脇に据え、そのまましゃがみ込む姿勢を取ることになる。
両足は便器のすぐ横に陣取るため、ともすれば水を流した際の水撥ねに直撃される恐れがあるのだ。
その日軟便であった私は、流した水とともに僅かに飛び散った便の飛沫を、足首に受ける羽目となった。
悪いことに、その日は夏服の、白に近いグレーのスラックスを着用していたため、ズボンの足首あたりが薄茶色の斑点模様に彩られてしまった。
私はえらいことになったと狼狽し、この事がもし職場内の明るみに出れば、恥ずかしいあだ名をつけられた上に退職するまでその愛称で呼ばれ、退職後も伝説の人物として永劫、語り継がれるのではないかと恐れた。
すぐさま意図せぬ汚れた水滴が付着してしまったズボンを脱いで後架の扉の上にひっ掛けて吊るし、ワイシャツの下はトランクスと靴下にスリッパという情けない姿になりながら、ちり紙をきれいな水に浸し、件の五右衛門氏の刀の手入れよろしく、ズボンの裾の汚れをポンポンポンポンと軽く叩いて染み取りに挑んだ。
思わぬ形で長引いた私の雪隠籠もりに、根が格好付けにできてる私は、職場の人たちに訝られるのではないかと恐れた。
もとより、大便の時はできる限り素早く終わらせ、いかにも小用でしたという顔で席に戻りたいという、小中学生のような感覚を持ち合わせていた私は、余計に焦りを増長させていた。
何んとか応急処置を終えて私はスラックスを着用し、それまでの狼狽をおくびにも出さず、何か指摘されたら逆ギレするぐらいの強い心持ちで後架を出て席に戻り、そしらぬ顔で仕事の続きを始めた。
結句、何事もなくその日の就業が終わり、卑賤な呼称の授与は回避されたことに安堵し、帰路についたのだった。
須らく日本文化の記録を残すべし
この話は後日親しい友人だけに打ち明け、――当然のこと物笑いのタネになったが――無論職場の面々には封印していたし、私自身も忘れかけていた話である。
しかし、和式便所が消えつつある中、日本文化の確かなる証として記録しておくものである。
◆◆最近の未知との遭遇◆◆
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