
前回までのあらすじ
平成三、四、五年と、三年連続で税理士簿記論の試験に落ちた。
大学一年で始めた簿記はずっと嫌いで苦の種だったが、諸事象によりその苦痛と向き合う流れとなった。
大学三年から受験専門校TACの税理士講座、超短期コースに通い始めるが、簿記の泥沼に嵌まり始めていた。
プロ仕様の電卓
「型、古いねん!」
とダウンタウン松ちゃんはツッコんだ。
それに対して私はブラウン管の前から「いや、古ないって!」と松ちゃんにツッコんだ。
平成バブルの当時、電卓がどんどん小型化して、遂にはカード型電卓なる物が登場した。
このような電卓は持ち運びには便利かも知れないが、速算はできない。
税理士試験には速算が必須なのだ。
(ちなみに試験には電卓は勿論、そろばんも使用可能である。
さすがに本試験で使っている人を見たことはないが。)
1990年代のある時期、ダウンタウン松ちゃんの『一人ごっつ』という深夜のテレビ番組をよく視ていた。
その中のコーナーのひとつにこういうものがあった。
お題となる特定の何かを写した写真画像がパネル上に映し出され、それが数秒毎に次々切り替わっていく。
そして画像が映っている数秒の間に、松ちゃんが急ぎ足でツッコミを入れていくのだ。
ある週の放送で、お題の画像の一枚に我らがプロ仕様の電卓が登場した。
その電卓への松ちゃんのツッコミが、「型、古いねん!」だったのだ。
その電卓はプロ仕様の大きなものではあったが、現行型であり、決して古いものでは無かった。
当時は大きい=古い、小さい=新しい、という価値観だったのだろう。
このような、その道に携わる者とそうでない者の認識のズレは、電卓に拘わらずありとあらゆる世界に存在すると思われる。
速算用の電卓の大きさは、その当時も今も変わらない。
人間の手の大きさが変わらないのだから。
さて大きさの他に、速算できるプロ仕様の電卓とは、次のようなものだ。
・テンキーの「5」に指で触れてわかるような印がある。
これはパソコンのキーボードの「F」と「J」にもあるように、ブラインドタッチを行う時に目ではなく指先の感覚だけでキーの位置を確認するためのものである。
つまり、電卓の速算はブラインドタッチで行うと云うことだ。
・テンキーの並びは下段に1から3が位置する。
スマホのフリック入力や、クレジットカードの暗証番号入力端末などはこれとは逆になっている場合が多い。
すなわち、下段に7から9がきて、上段に1から3。
これでは電卓とは逆の並びになるので、電卓に慣れている人ほど間違いを犯しやすくなる。
悪しき設定であるから電卓の並びに統一すべしというのが個人的見解である。
(スマホでも、電卓アプリなどはリアル電卓と同じ配列となっているようだが。)
カシオかシャープか
カシオ派もしくはシャープ派、どちらの流儀に与するか。
受験生の間では、この二大メーカーの電卓によってシェアを占められていた。
秋葉原で購った間に合わせの電卓を棄てて本格モデルに移行し、初手においてはカシオを入手したものの、他の受験生の使うのを見てシャープにも触手を伸ばした。
しばらくは両方を試し、機能、打感、ディスプレイの見え方、キーの配列など比較し、結句シャープは処分してカシオを残した。
決定的な理由は「K」(=定数計算モード)が使えるかどうかであった。
四則演算のキー(+ー×÷)を二回押すことで、計算の順序を入れ替えることができるのである。
この機能を最も頻繁に、最も便利に使えるのが割り算の時だ。
すなわち、電卓で割り算を計算しようと思えば、通常は分子→分母の順に数字を入れるが、何らかの事情で先に分母を入れた場合でも、「÷」を二回押せば後から分子を入れて計算できるのだ。
二回押すとディスプレイに「K」が表示され、 ”只今定数計算モード中” だとわかる仕組みである。
「K」が何の略なのかは、未だに知らないが。
この機能がシャープにはなかったし(今は装備されたのだろうか?)、その他の質感などもカシオがしっくりきたため、大学から三十余年、同じカシオの電卓をずっと使い続けることとなった。
当時購ったカシオのDS-20は、この稿をものしている約一年前の令和六年、ついにディスプレイの表示に異常を来し、引退の運びとなったのであった。
練習カリキュラム
道具をそろえた次は、その道具に習熟せねばならない。
そこで使用したのが、何度か紹介したマイフェイバリット出版社の「東京教育情報センター」が刊行する、『電卓技能の速成上達法』なる書籍である。
今でこそ類書は数多あり、動画などでの技法習得も可能であろうが、当時はこの本がかゆいところに手が届く絶好の一冊だった。
JR水道橋駅の近辺に、日本大学商学部御用達の小さな本屋があった(WEB検索するとどうやら今もあるらしい)。
そこには税務会計関連の本がこれでもかと云うほどに陳列され、おおよそこの本屋にない本は神保町の三省堂にも書泉グランデにもないだろうと思わせるほど豊富に取りそろえていた。
記憶はないのだが、おそらくこのマニアックな電卓練習本もここで購ったと思われる。
私はこの本のカリキュラムに沿い、簿記の勉強より優先して電卓の猛特訓を敢行した。
急がば回れで、まずは基礎的技能を固めようと思ったのである。
練習の要諦は、それぞれの指に割り当てられたキーの位置を覚え込ませることであった。
初日はまず中指で852、852、852・・・・・・と延々繰り返す。
次は258,258、258・・・・・・、そして28,28,28・・・・・・
二日目はこうだ。
人差し指で4,中指は5,薬指で6、
そして456,456,456・・・・・・と何度も繰り返す。
とこのように、キーの位置を徹底して指で覚えていく作業である。
一週間ほどで、私の電卓技能はその辺の受験生をすべて陵駕するほどに上達した。
しかも私は静音性にもこだわり、如何に音を立てずにスマートに電卓を叩くかというところまで追求した。
速算に習熟していない人は無理に速く打とうとして力任せに叩く傾向があり、バタバタガチャガチャとうるさいのだ。
これは美しくない。
楽器の演奏と同じで、軽やかなタッチこそがスピードと余裕を生む。
何により試験で余計な音を立てるのは他の受験生にも迷惑なのだ(それを逆手に取って周りを焦らせるというセコい戦法も存在したようだが)。
この時身につけた技術は、一生ものとなった。
職に就いてからも大いに仕事のスピードを上げてくれたものである。
さてこのように勉強せずに電卓の練習に時間を費やしていたが、いよいよ授業について行くのが苦しくなり、受講中の二科目の内、財務諸表論について切り離さざるを得ない仕儀となった。
(続く)
