
前回までのあらすじ
平成三、四、五年と、三年連続で税理士簿記論の試験に落ちた。
大学一年で始めた簿記はずっと嫌いで苦の種だったが、諸事象によりその苦痛と向き合う流れとなる。
大学三年になって通い始めたTAC税理士超短期コースの講義が終わり、初めての本試験の日がやってきた。
平成三年七月三十一日、晴
私が産まれ育ったM県を含む西日本で、夏に鳴くセミの代表格と云えばクマゼミである。
早朝からシャンシャン、シュワシュワと大合唱を始め、午後にはピタリと止んでしまう。そんな夏を過ごしてきた。
だから夏と云えばクマゼミであり、クマゼミの鳴かぬ夏などは夏ではなかった。
しかし東京にはクマゼミが棲息していなかった。
容赦ない朝の陽射しと共に、これまた容赦なく鼓膜に突き刺さるあのクマゼミの声が聞こえない。
東京ではその代わりに、M県では聴いたことのないミンミンゼミの声をよく聴いた。
クマゼミは居ないが、このミンミンゼミの声もまた、暑さと湿気で歪んだ視界と相まって耳朶に押し入り、己の肌中から汗を押し出すような心持ちがした。
朝九時から始まった税理士簿記論の試験中、会場である早稲田大学の構内に棲息するミンミンゼミの声が、エアコンもなく窓を開け放った教室にじっとりと闖入してきた。
令和の今、地球温暖化とやらで一昔前に比べて夏が極端に暑くなったと喧伝されているが、はたしてどうか。
平成三年の夏も今と比べて遜色ない暑さだったとはっきり記憶している。
私は夏が好きだった。
「夏ええわー、暑いん最高やわー」と、人に会えば夏を賛美していた。
それに対し友人のK田君が「そやけど40度とか、もうええわ」と嘆きの返答をしたのである。
平成初期でも40度を超える猛暑だったという紛れもない証拠である。
平成三年七月三十一日も晴れて暑い夏の日だった。
敗北感を忘れたい
今現在、自宅の押し入れには何十冊にも及ぶファイルがストックされている。
その中に綴られているものは、高校時代からのMy資料である。
紙の写真、友人からの手紙や葉書、学校で配られた藁半紙のプリント類、中間期末テストの問題と解答、通知表、生徒手帳、修学旅行のしおりなどがクリアフォルダに収められて綴られている。
もはやこれらは己の中で歴史的価値を帯び始め、時間が経つほどに廃棄できぬ貴重な史料となりつつある。
このように何でもストックする癖があるにもかかわらず、平成三年の第41回税理士試験、簿記論の問題用紙はファイリングされていない。
午前九時から始まった簿記論の試験は十一時までの二時間で、開始から終了にかけて気温はどんどん上がっていったはずである。
税理士試験は速さの勝負でもあり、途中で考え込んでペンが停まってしまうと危険信号が灯る。
私は途中ある問題に引っかかり、それに拘泥し、時間を費やしてしまった。
焦りで頭に血が上り、室温と相まって冷却しようのないまま脳中が熱くなり、試験用紙にぼたりぼたりと汗がしたたり落ちるのがわかった。
解答はインク使用が原則で、鉛筆は認められていない。
問題用紙はボールペンの書き込みに次ぐ書き込みでぐちゃぐちゃだったに違いない。
解答欄をどれぐらい埋めたのだろう。
全く記憶は無い。
初めての試験なので、どの程度手応えがあれば合格圏内なのかもわからない。
ただ、試験を終えて決して爽快な気持ちではなく、全く歯が立たなかったという敗北感が強かったのだろう。
試験終了後、会場の出口で配られていた各専門校の解答速報(抄録)を受け取ったのだが、日記に拠ればそれを居室に帰ってから読まずに棄てた、とある。
問題用紙は持ち帰り可能だが、解答速報と一緒に棄てたのか、後々棄てたのか。
いずれにしろ最前既述したように、問題用紙も手許にはない。
夏休みを経て新規開講
試験の帰り道、近所のショップでCDなどをレンタルし、居室に戻ると昼過ぎであった。
TVを点けると『笑っていいとも』が流れ、当時本田理沙と共に推していたribbonが出ていたのを試験後の解放感と共に眺めた。
大阪から友人がやってきて、少し遅れた夏休みが始まった。
そして九月、税理士講座の新年度開講において、私はまた、暴挙に出た。
(続く)
跋語
『アイデン&ティティ 32』/みうらじゅん/青林工藝舎(漫画)/令和8年1月24日(土)読了(再読)
『杳子・妻隠』/古井由吉/新潮文庫/令和8年1月27日(火)読了
