
前回までのあらすじ
税理士試験の簿記論という科目に三回落ちた。
私は簿記が嫌いだった。
平成元年、大学一年で簿記を始めたが苦痛でしょうがない。
日商三級の検定試験も受けぬまま夏休みに帰省し、存分に羽を伸ばして再度上京した。
ついに簿記に熱中する日が来た
資格取得のために勉強するなら、今ある生活の何かを犠牲にしなければならないのだが、犠牲にしてはいけないものを犠牲にしてしまった。
平成二年、大学二年生となった私の毎週土曜日23時の楽しみと云えば、『夢で逢えたら』というテレビ番組を喰い入るように視ることであった。
『夢で逢えたら』は、当時東京に進出したばかりのダウンタウンのほか、ウッチャンナンチャン、清水ミチコ、野沢直子らが出演する三十分のコント番組である。
ダウンタウンの魅力に取り憑かれていた私は、この番組と火曜深夜の『ガキの使いやあらへんで!』を欠かさず視聴していたのであるが、六月のある土曜、あろうことかこの番組を見逃すというミスを犯してしまった。
それも簿記の勉強に熱中していたという理由で!
これは珍事である。
あんなに嫌いだった簿記に熱中してしまい、必須視聴番組を見逃すとは・・・・・・。
簿記三級については、大学一年の春から散々苦労した分、秋の試験では合わせるべき貸借(左右)の数字を一発で合わせ、軽々と合格した。
大学二年の六月には引き続き日商二級の受験を予定していた。
三級合格の勢いがあるとは云い条、二級の検定では新たに”工業簿記” なるものが加わり、壁となって立ちはだかった。
素破また苦悩の日々が続くかと思われたが、とある出版社の本のおかげで乗り越えることができた。
東京教育情報センターの本に魅了される
三級での失敗を踏まえ、二級においては公式テキストに正面からがっぷり四つで組み合うことはしない。
私は賢明なる経験者なのだ。
私が執った手段は、受験校の講座受講である。
当時新興勢力だったTACが、大学生協への攻勢をかけ始めていた時期である。
私はTACの簿記二級、添削のみの通信講座を受講した。
その頃TACも水道橋にしか校舎がなかったため、東京のファーウエストからは通い難く、通信とした。もちろんインターネットなどない時代である。
これで流れるように勉強は捗って余裕で合格・・・・・・と云う目論見は当たらなかった。
TACのテキストもまた、公式テキストとは違った意味でわかりづらかったのである。
何にやら著者のクセが強いのか、長文でつらつらと説明が続くテキストに馴染めなかった。
商業簿記については三級からの流れで何とかなったが、二級からの学習範囲である工業簿記に至るとここでまた躓いた。
何か良いテキストはないかとさまよい、大学生協の書店で吟味した処、どうやら良さげな本を見つける。
私は昔から、本屋で立ち読みして良さげな参考書を見つけるのが得意であった。
高校受験、大学受験も己の足で本屋に行って労を惜しまず立ち読みし、参考書を吟味したものである。
此度見つけたその本は、「東京教育情報センター」という、おそらくもう今は無き、そしておそらくとても小さな出版社の、『2級工業簿記トレンドブック』というものである。
このテキストで開眼した私は、視たいテレビを視忘れるほどに勉強してしまい、大学二年六月の二級検定試験においては試験時間を大幅に余らせて問題を解き終え、余裕で会場を後にする流れとなった。
十日後、合格通知を受け取った。
この、「東京教育情報センター」は他にも税務会計関連の味のある本を出版していて、私のフェイバリット出版社となった。
おそらくは閉業してしまったであろうことが惜しまれる。
税理士試験受験に傾く
二級の試験前ぐらいまで、公認会計士試験に駒を進めるのか、それとも税理士にするのか、気持ちは固まっていなかったがこの頃から税理士試験へと傾き始めていた。
早い話、逃げたのである。
仕事内容の違いなど、学生の私にはわからない。だから仕事内容で選んだわけではない。
公認会計士試験は七科目一括合格しなければならない。
苦手の経済学もある。
何にやらエリート臭がして敷居が高い。
対して税理士試験は科目合格制で複数年受験が可能。
経済学も勉強しなくてよい。
公認会計士に比べ何にやら庶民的なイメージがある。
その程度の理由である。
二級合格如きでもう簿記はお手の物だと調子に乗っていた私は、ここから無謀な行動に打って出てしまい、返り討ちに遭うこととなる。
本当の簿記の苦しみを味わうのはここからであった。
跋語
『摘録 断腸亭日乗 (下)』/永井荷風/岩波文庫/令和7年7月11日読了
