
前回までのあらすじ
平成五年、三年連続で税理士簿記論の試験に落ちた。
簿記を始めた大学一年の平成元年春、出鼻からつまずいて簿記が嫌いになる。
生活環境も変わり戸惑いつつ、一年の秋に日商三級、二年の春に二級を取得。
大学三年になりいよいよ受験専門校TACの税理士講座、超短期コースに通うことになった。
関東の言葉にショックを受けた日
私が産まれ育ったM県M市地方の方言はこうだ。
アクセントのベースは関西弁に近いものの、それが間延びしたり語尾が変化したりで鄙びた臭いがたいそう濃くなり、所々で名古屋弁の影響も垣間見られることで、独特の田舎言葉となっている。
テレビで主に使われているような、所謂 ”共通語” を話すのは、芸能人やアナウンサーの所業であって、メディアの中だけの絵空事に近いイメージであった。
平成元年、大学受験で新宿のホテルに滞在し、夜な夜なブルマートというコンビニへ買い出しに出ていたのだが、ある晩、酔っ払った中年〜壮年のサラリーマンらしき男性二人が、関東の言葉で砕けた会話をしているのを聞き及んだ。
市井の人々がテレビのような会話をしているッ!!
18歳の少年からしたらおじさんと云えばダサさの象徴であったにも拘わらず、その関東のおじさんたちが芸能人級のおしゃれに感じ、たいそうな衝撃を受けたことを今でも鮮明に覚えている。
私は大学生となって上京してもなお関東アクセントには馴染めず、電車内で小学生の関東弁での会話を聞いてはまた衝撃を受け(子供がおしゃれな言葉を使っているッ!!)、さすがに初手の頃こそ周りに合わせて言葉を矯正していたものの、徐々に云いたいことがすぐに出てこぬ歯がゆさに焦れて、田舎言葉を隠さぬ流れとなった。
折しも同じ頃ダウンタウンが東京進出し、関東においても関西弁が市民権を得る嚆矢となっていた。
正確に云えばM弁は関西弁とは異なるが、関東では化けの皮が剥がされることはなかったので、自称関西弁と云うことで押し通した。
東京っ子に気後れする
さてTAC地獄の超短期コースにはたった一人だけ同じ大学の知り合いが受講していた。
高校の同級生を通じて知り合ったF原くんは、東京育ちの附属高校上がりであった。
東、京、育、ち、である。
そんな人が本当にこの世にいるとは。
クソ田舎人の私からすれば殿上人である。
まず見た目からして違う。
派手すぎず地味すぎない、流行のツボを押さえた心憎いファッション(ダサいという言葉とは無縁で生きてきたに相違ない)。
そして佇まいからにじみ出る上品さ。
言葉遣いから一挙手一投足までが都会のテイストを感じさせ、愛車は当時大人気で今なお名車と語り継がれる86型スプリンタートレノ。
流行車の助手席には年下の彼女を乗せ、かといって決してチャラくは無い。
性格は温柔敦厚でまさにお坊ちゃま然とした都会人であった。
勿論、お上りさんが矯正して話すようなえせ東京弁では無く、息をするように自然な東京弁を話すことは説明にも及ぶまい。
根が激ダサ田舎者でかつ根が歪んだ卑屈根性にできてる私は、F原くんには悟られまいとひた隠しに隠していたのだが、密かに気後れやインフェリオリティーコンプレックスを感じていたものである。
そうは云い条、TACにおいては満杯の教室の中知り合いが居るのは心強く、いつも隣の席で受講し、昼食時も水道橋のいろいろな飲食店をご一緒させてもらった。
そのF原くんが使っていたカシオの電卓と同じものを購い、その後五十路を過ぎるまでそれを使い続けることとなる。
問題を解く以前の基礎技術
それまで私の使っていた電卓は、大学に入って間もない頃に秋葉原かどこかで購った安物で、キーの打感も悪く、速算用には向かない、おもちゃのような代物であった。
電卓の習熟度は合否に大いに関係する。
電卓の技能が一定のレベルに達していなければ、合格答案を作成するスピードを身につけることはできないのだ。
私にはまずそこが欠けていた。
日商二級レベルまでは対応できたが、それ以上は難しい拙劣さであった。
まずプロ仕様の電卓を入手せねばならぬと気づき、隣の席のF原君が使う電卓を試させてもらい、早々に同じ物を購った。
大学生協かどこかで、六千円ほどであったと記憶している。
それと同時に入手したのが、件の「東京教育情報センター」刊、
『電卓技能の速成上達法』
なる書籍である。
講座が開講して一ヵ月経った五月下旬、勉強はそこそこに、電卓の練習に熱を入れることとなった。
(続く)
