右脳と左脳の違いについて懐疑的だったが、今後は仕事と生活に生かしていこうと思った理由

深い話

左脳に障害を負ったらどうなるのか

右脳型人間、左脳型人間
という分類に、私は懐疑的であった。

なにやら血液型占いのように感じたからだ。

ざっくりいえば、右脳人間は感覚派、左脳人間は論理派、と紹介されることが多いが、
そもそもちゃんとした医学的見地からなる文書を読んだことがない私には、占いや心理テストと同列に思えた。


メディアに登場する脳科学者なる面々も、どうも信用できない。
何を言うにも枕詞のように「脳科学的には」と付けられると、余計にうさんくさくなる。

しかもある脳科学者は税金の滞納を報じられたこともあった。
また別の、テレビによく出ている脳科学者の書籍を手に取ったことがあるが、どうも中身がふわふわしてまったく読み応えがなかったことを覚えている。
(個人的に、池谷裕二さんだけは別格である)



しかし最近読了した書籍、

『奇跡の脳―脳科学者の脳が壊れたとき―』(ジル・ボルト・テイラー著 新潮文庫)

が私の懐疑的な思いを一変させた。

著者はハーバード大学の脳神経化学の研究者で、37歳の時に脳卒中により左脳を損傷したが、奇跡的に回復してこの著作をものした。

左脳を損傷してからの一時期、右脳だけでこの世界を捉えていた経験が描かれている。
それによると、
三次元の現実感覚を失い、
自分の体が固体ではなく「流体」ように感じ、
周りに溶け込んでしまい、
体と他のものの区別がつかない様な感覚に陥り、
それはとても幸せを感じる体験だったという。

具体的に引用したい。

周囲から分離していること、固体であることを体験する能力が失われてしまったせいで~忘れ得ぬ平穏の感覚が、わたしという存在のすみずみにまで浸透し~

わたしたちはそれぞれ、全く同じ全体の一部であり、~わたしというものが自分の創造の産物にすぎなかった~

頭の中でほんの一歩踏み出せば、そこには心の平和がある。そこに近づくためには、いつも人を支配している左脳の声を黙らせるだけでいい

奇跡の脳

右脳と左脳の違い

本書によれば、右脳と左脳の守備範囲の違いは以下のようなものだ。

右脳
・現在の瞬間以外の時間は存在しない
・規則や規制に縛られることなく、自由気まま、想像的
・共感、感情移入し、全体とのつながりを知覚する
・言葉以外のコミュニケーションを解釈する
・柔軟な対応
・感覚
・体

左脳
・それぞれの瞬間を時系列に並べ、過去、現在、未来に分ける
・時系列にすることで予測を可能にする
・微に入り細をうがち、細かく細かく細部にこだわる
・言語をつかさどり、他人と分かち合えるデータに変換する
・外部の刺激に対し、自動的、反射的な思考パターンを作る(これにより大量の情報を処理できるようになる)
・快と不快を分別し、批判的な判断、分析、比較を行う
・自我を形成する
・思考
・頭


その他諸々上げられているが、
右脳的・感覚的にいえば
右脳=自由
左脳=真面目
だろうか。

左脳偏重に生きてきた結果・・・

私が生業としている税理士の仕事は、明確に左脳優勢だと言えると思う。
税理士試験も、左脳的な事務的能力を試す側面が強い。
税理士業務(だけではなく、資本主義下のほとんどの労働)は時間に追われることが常だ。

本来のんびり屋の私は、コツコツ計画的にやるのが苦手だった。
なにせ高校受験も大学受験も税理士試験も、ギリギリまで放っていた。
授業はいつも上の空、空想したり、ノートや教科書に落書きしたり。

そんな私は、社会人になって「考えすぎる人間」になった。
時間に追われ、期限に迫られ、段取りに苦心し、データの間違いに目をこらし、素早く事務処理をこなし、理屈をこね回し、間違いのない申告書を作成し・・・
そんな職業に長年浸かった結果、
つまり、のんびり屋の自分が後で慌てないように、必要以上に左脳に焦点を当て続けてきた結果、私は四角四面の人間になった。

のんびり屋のまま生きている人や、段取り下手な人、楽観的すぎる人に必要以上にイライラし、
正しさにこだわり、矛盾、間違い、ズレなどに鋭敏に反応し、
予定や計画通りに行かないことに焦りを感じ・・・

私は、複式簿記や税法のように漏れなくダブりのない、整然とした価値観を、他人にも押しつけるようになっていた。
本来自分はそういったものが苦手で、身につけるのに苦労した分、やっていない人、できていない人に余計に矛先が向いた。
本当はそういう人たちがうらやましかったのだ。

とにかく、私はゆがんだフィルターを身につけてしまったようだ。
それは左脳偏重の生き方がもたらした弊害だったのかもしれない。


仏教、武道、ビートルズ、そして量子論

自分を含め、現代人は考えすぎるようになったと思う。
人類はしかし、実は本能的に右脳の働きを知っているのではないだろうか。

ブッダの教えである「瞑想」は、思考(左脳)を止めて今ここに集中(右脳)することを説く。

日本古来の武道にも似たような教えがある。
合気道のある流派では、「臍下せいかの一点」を保持し、天地の氣と交流することを説く。
切り離された自己ではなく、もっと大きな全体と一致することを目指しているのではないだろうか。
これは右脳的に思える。

ほかの武道でも、脳はでしゃばりで、身体の足を引っ張ると喝破していた。
この場合の脳とは左脳のことではないだろうか。

ブルース・リーは作品の中で「Don’t Think(左脳), Feel!(右脳)」と教えた。

ビートルズはマハリシの超越瞑想に教えを請うた。

量子論は目に見えないミクロの世界を扱うが、何かしらの電磁的?エネルギーに右脳がつながっているのかもしれない。
今後、脳科学と量子力学が融合されたら面白い発見がどんどん出てくるのではないかと、とても楽しみである。

そして、その瞬間瞬間で、右脳・左脳のどちらに仕事を任せるのか、己自身が決定できる自由があるということを覚えておきたい。

外界のいかなるものも、わたしの心の安らぎを取り去ることはできません。それは自分次第なのです。

奇跡の脳

右脳を意識した生き方を取り入れようぜ

左脳偏重にならぬように、どうしようか。
以下のことを取り入れてはいかがだろうか?

瞑想(1日10分でも)
芸術(やるなら下手でもなんでも、見る、聞くだけでも)
没頭して時間を忘れる(好きなことを)
予定にこだわりすぎない(公私とも)
人に期待しすぎない 寛容、鷹揚(楽観的に)
お笑いを見る(笑い大事)
初めてのもの、こと、場所、人に触れる(良い刺激を)
今に生きる


(了)

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税理士向井栄一の
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