C君、俺は未だビートルズを聴いてギターも弾いているぞ・・・人はなぜ自ら命を絶ってしまうのだろう

とても個性的だったC君が公務員になった

T君、いや彼の親しまれた、本人も自ら名乗っていたあだ名の頭文字を取って、C君と呼びたい。

C君は2022年の1月半ば、自らこの世を去った。

親族がいたのか、葬儀があったのか、お墓がどこにあるのか、何も分からない。
その前年、ご両親がともに他界され、一人っ子のC君一人残されたということだけが唯一、私の周りの同級生が共有する情報であった。


コロナ禍より前にさかのぼること数年前から、C君とは連絡が取れなくなっていた。
携帯電話に電話しても応答が全くない。


仕事がらみで職場をのぞきに行き、挨拶をしたことが数回ある。
C君の挙動はすでにそのとき、いつもと違っておどおどしていた。

明らかに作り笑顔と分かるぎこちない表情と、この世のどんな人間に対しても心を閉ざしてしまったようなおびえた態度の裏に、なにやら大きな闇を背負っているような印象を受けた。



C君はかなり個性的なヤツだった。
芸術的センスに加え、鋭くかつ広い見識、マニアックな知識など、独特の世界観を持ち合わせていた。

右利きなのにあえてギターは左で弾いたり(しかもかなり上手かった)、
手先が器用で理系の知識もあり、ギターに接続するエフェクターを自作したり——

そして奇行。
その世界観から来る、世間から逸脱しかねない、数々の”奇行”が、彼をほかの人間と際立って異なる存在にし、また彼の魅力にもなっていた。


そんなC君が、職業として公務員を選んだ。

世間から逸脱すべき人間が、もっとも逸脱してはいけない職業に就いてしまったのかもしれない。

彼の約30年の職業人生の詳細については分からない。
深く語り合ったことがない。
私はしかし、深く語り合うことができる立場にいたのだ。

その点に、私は大いなる反省と後悔の念を感じている。



C君は孤独だったのではないか。
孤独が彼を死に至らしめたのではないか。
というのが私の結論であり、サポートするためにどうすべきだったのか、彼の三回忌に考えてみたい。

C君とは音楽を通じて付き合いが続いた

C君とは高校2年の時、同じクラスになり、出会った。
1987年、音楽シーンはヘヴィメタル、ハードロック全盛の時だったが、お互いビートルズやローリングストーンズが好きなことが分かり、また彼の奇行も好ましく見え、意気投合した。

ビートルズ好きの二人の熱がやがて周りに伝播し、クラスの中に輪が広がった。

C君は人との距離の取り方が下手だったと思う。
間に私が入ることで——といっても私もその方面が上手とは言えないが——、ともかく私を通じてみんなとつながっていた面があるかもしれない。
なにしろディープでマニアックなロックファンというのは田舎においては希有な存在だったから、その一点だけをおいても私とC君の絆は強固だった。


C君とは社会人になってからいくつかのバンドを組み、高校の同級生からバンド仲間という立場に変わった。

往々にして、バンドというものはメンバー間の軋轢から、脱退や解散につながりがちだ。

バンドを組んでから、C君とは少しギクシャクし始めた。
趣味とは言え、真剣にひとつの音を作っていく中で、もはや高校時代の軽いノリで遊ぶような感じではなくなっていた。
私はしばしばC君にいらだつこともあった。

今思えばあのときこういう言い方をしていれば、ああしておけば、と思うことがたくさんある。




バンドを抜けてC君と次に会ったのは約10年後だった。
2011年だっただろうか。

私はC君に会いづらかった。

過去の、彼に対する己の態度を自身で苦々しく思っていたし、彼も引っかかる部分があったのではないかと想像していたからだ。

しかし、それは杞憂だった。
再会は不思議なほどわだかまりを感じず、私とC君は10年ぶりにギターを持ち合って、弾き、歌い、笑った。
楽しかった。
またやりたいと思ったし、機会があると思っていた。

しかし、C君と楽器を持ってセッションをしたのはそれが最後となった。



C君は孤独だった、と想像する

その後のことは冒頭に書いたとおりだ。
私にできたことは何だろう。

C君はご両親が亡くなったことにより、本当の孤独になってしまったと想像する。
自分を素直に表現でき、わかってくれる相手がいなくなったのだろう。
わかり合えないことは苦しい。

C君の表現方法は著しく個性的だった。
そのことで周囲の人たちとの軋轢が、ひょっとしたら生じていたのかもしれない。
自分独自の表現方法で自分を表現できないのは苦しい。
相手のちょっとした言葉、態度、表情、目線などで、
受け入れられていないと感じてしまうこともある。

C君が孤独にならないためには、理解者とサポートが必要だったに違いない。
それは、友人たる私が担えた役割だった。

私は、彼の表現方法の架け橋になれた(と思う)

何気ない言葉に人は傷つくことがある。
自分が思っている以上に。

知らず知らずのうちに、己で意識することなしに、人は人を傷つけているかもしれない。
何をもって傷つくのか、それは人によって違うからだ。
人はそうやってすれ違うのだろう。


コミュニケーションが下手なC君。
彼の得意な表現方法を私は知っていたのだ。
それをもっと認め、促し、場を設けるべきであった。
他者との架け橋を作るために。
おせっかいと思われても、もっと根気強く。



C君との絆の証であったビートルズを私は未だに、こよなく愛している。
ビートルズのジョン、ポール、ジョージ3人が愛用したギター、エピフォンカジノも手に入れた。
見せることはできなかったが。
今、彼がいれば一緒に演りたい曲がたくさんある。


(了)


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